1月の終わりに友人ら数家族と豊田湖畔公園にキャンプに行ってきた。まあ、キャンプといっても小学生の子も居たので簡単にロッジ泊だけれども。
で、豊田湖畔公園キャンプ場には写真のような広場があることを僕は知っていた。
三題噺じゃないけれども、冬・広場・小学生と来れば「凧揚げ」を連想してしまう僕は多分じじいなんだろう。
今時、凧はどこに売ってるかって?
11月時点でこのキャンプの話しは出てたので、買い物に出かけるチャンスがあれば、どこかに凧が売ってないかなーって意識して見てたんだよね。
そしたら、意識すれば意外に凧って売ってるもんだなってのが分かった。カラーバス効果だね。
まずはDAISO(ダイソー)、12月頃は普通に100円の凧を売ってた。竹ひごとビニールでできたやつのようだ。
そして100円ショップのSeria(セリア)も、12月頃はおもちゃコーナーで似たような凧を売ってたし、なんならクリスマスが明けるとお正月グッズの特設コーナーができ、そこでも凧が売られてた。
ああ、お安い凧が普通に置いてあんだねーと安心してたわけなんだけど、どうやら両ショップとも1月の第2週にはそれらの凧は撤去されてしまったようだ。
そこでおもちゃ屋さんに行くと年中売られてる凧があった。いわゆる三角カイトだ。100円ショップに比べると若干お高めで400円から1,000円といったところか。
まあ、いつでも手には入るようなので安心だ。小学生の子が遊べるように、僕はこのキャンプに凧を買っていくことにした。
今昔の凧揚げ事情
ところで、最近はすっかり凧揚げをしている子どもを見かけなくなった。
僕が凧で遊んでいた子どもの頃というと1970年代になるが、その頃は結構な人数が公園に集まって凧を飛ばしていた。公園はわりと街中で周りの住宅にはもちろん電線も引いてあったが、「凧を飛ばしちゃダメ」という大人はいなかった気がする。
むしろ、凧が電線にかかってビリビリしてるあのお馴染み看板のように「凧が電線に引っかかったら触っちゃダメ」ってのをきつく言われていて、つまり子どもは凧揚げして遊ぶものというのが大人の共通認識の時代だったんだろうなあと思う。
あと、校庭に集まって飛ばした思い出もある。放課後もしくは休み中の学校は門が空いていて出入り自由だったし、野球部(当時、少年クラブは野球くらいしかなかった)が練習していなければグラウンドをどう使おうが五月蠅く言われなかった。
ああ、今思い出したが、学校の授業の一環で自作した凧で競う凧揚げ大会ってのもあったな。
そういや自分の子どもといつ凧揚げしたっけ。思い返してみると彼女らが幼稚園の時に「お父さんの参観日」みたいなイベントがあって、そこで凧を作って飛ばしたのが最後だ。ということはもう15年も昔の話の話しになる。
山口県みたいな田舎でもそんなくらいなんだから、都会じゃもしかしたら凧を揚げたことのない子というのがいるのかもしれないね。
風を受けて手許の糸が引っ張られ、細い糸が切れるか切れないかハラハラしながら、まだ伸ばしていくかそれとも糸を手繰ってしまうか、子どものころにそんな緊張を経験していないというのは可哀そうなことだと思う。
おもしろうてやがて哀しき凧揚げ哉
さあ飛ばすぞ!と意気揚々と始める凧揚げだが、その終わりってのは大体哀しい結末を迎える。
地上に落下して竹ひごが折れたり紙が破れたりというのはまだマシな方で、足が千切れてクルクル回転して木の枝に引っかかってしまったり、かなり高く上げた凧の糸が切れて遥か彼方に消えてしまったりと、大体、次に飛ばせる形で凧を持って帰れることの方が少ないだろう。
せっかく買ってもらった凧が壊れたり無くなってしまったりして、親になんて話そうかと考えながら肩を落として夕暮れを家路に向かう。そういう経験も全部ひっくるめての凧揚げだ。
案の定、今回のキャンプの凧も木に引っかかってその終わりを迎えた。引っかけた子はしょんぼりしてた。
「気にすんなよ!凧揚げってのはそうやって終わるもんなんだよ。」
本当にまったく気にせずに笑いながら言えた。
なんとなく親父の顔を思い出した。
ああ、そうか。
凧揚げの思い出ってのは、ここまでがセットなのかもしれないね。