萩城の裏にある指月山は標高143m。山口県百名山の中では笠山、峨眉山に次いで3番目に低い山となります。
低山だけど見るものいっぱい。山城の遺構がたっぷり。山口県民なら一度は行ったことのある萩城。
今回はまだ見ぬ裏山へ一緒に登ってみましょう。
菊ヶ浜に到着
福栄村の権現山を後にし、萩の菊ヶ浜にやってきました。
カーナビに萩城を入力するととんでもなく狭い道を提示してくることがあります。多分、最短距離なのでしょうが、町屋の中は見通しが悪く走りにくくてしようがない。
萩城に行くなら菊ヶ浜経由。僕のお薦めです。
萩城の表門前にも無料駐車場がありますが、菊ヶ浜から萩城までは歩いてもすぐの距離なので、今日はここから行くことにします。
浜に出て、先ほどまでいた福栄方向を眺めてみましたがどれが権現山だか分かりません。
権現山からこちらが見えたので、写真のどこかに写ってるはずなんですけどね。
あ、ちなみに権現山の記事は以下です。
どこかで御霊が下りてくださってたら良いけどな。
浜辺を歩いて指月山に近づいてきました。そのまま萩城に渡れると思っていたのですが、そうだ!手前に水路があったわ。
僕が学生の頃はこの水路に貸しボートがあって、菊ヶ浜に漕ぎ出すことができたんです。懐かしいなあ。今は遊覧船があるだけですかね。
水路の話が出たので事前に地図を見ておきましょう。
萩城は指月山に連なる干潟を埋め立ててつくったそうです。地図を見ると水路がまっすぐに残っているのが分かります。外堀の代わりですね。
菊ヶ浜から水路をさかのぼってすぐの指月小橋から萩城へ入城しました。
萩城址を歩く
まずは軽く萩城内を歩いてみましょう。指月山へは萩城を突っ切らないと行けませんから。
○○矢倉と書かれた看板があったように思いますが写真を撮り忘れました。もしかしたら二の丸東門だったかも。
綺麗な石積みです。萩城は明治7年の廃城令で天守・櫓などの建物を破却しましたが、こうした立派な石垣が残っています。
萩城跡は今は指月公園となっています。お城に入るには入場料が必要です。たしか大人220円だったかな。まあ、大人なら気になる値段ではありません。
萩城の歴史を要約しておきます。
1600年、関ヶ原の戦いの西軍総大将毛利輝元は8か国112万石の大大名であったが、敗戦により防長2か国29万8千石までに減封された。このとき広島城に代わる居城として築かれたのが萩城である。
萩城は平時に建設された城ではあるが、背後の指月山に詰丸を配するなど戦時を意識した構えとなっている。
1863年、毛利敬親が藩庁を山口市に移すまで、萩城は藩政の中心であった。
1874年、廃城令により天守・櫓などの建物を破却。
志都岐山神社
萩城本丸門から入って、最初に目にするのが志都岐山神社の鳥居です。大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地だそうなのでちょっと寄っていきましょう。
万歳橋は滑って危険ということで渡れないようになっています。横から回り込めるので志都岐山神社には行けます。
志都岐山神社の祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳の五柱、その他にも初代から12代までの萩藩主が祀られているそうです。
拝殿にかかっている幕には一文字に三つ星。一文字は筆書いたような形。
うむ。さすが萩。毛利本家の家紋*1です。
*1 毛利は本家と分家で微妙に家紋が違います。
一文字のところですが、毛利本家は筆文字、徳山毛利は逆台形、長府毛利は四角、清家毛利は凹の形。
毛利の家紋はネットでも見比べることが出来ますが、防府の毛利邸に行くと詳しい資料があったような気がします。
萩城天守閣跡
志都岐山神社でのお参りを終えて天守閣跡へ向かいます。
志都岐山神社の鳥居から出てくると正面に内堀の石垣があります。
この石垣は階段状になっているので登ることが出来ます。登れるものは登るよね(笑)
そのまま横にずれると天守閣の近くまで行けます。
これが萩城の天守閣の石垣。規模感で言うと、江戸城(皇居)の石垣にはとても及ばないけれども、やっぱりRが美しいですね。
波のない内堀からそのまま立ち上がる姿も良いと思います。
かつては日本全国に3,000余りのお城があったそうです。
江戸時代の一国一城令で相当数が減り、さらには明治の廃城令、第二次世界大戦の爆撃、戦後の失火等により現存する天守は12基とか。
残念無念。在りし日の萩城の姿を見たかったなあ。
200年間、毛利家が再起をうかがった場所がここです。そうやって考えるとまた景色が違って見えますね。
指月山に登る
萩城観光が長くなっちゃいました。本命の指月山へとまいりましょう。
指月山の登山口は天守閣から山の方向に向かえばすぐに見つかります。
入場料を払うともらえるパンフレットにも地図があり、指月山登山口が示してあるので迷うことはありません。
指月山山道
山道に入ってすぐにお目見えするのが重建大祖神廟記の碑です。
この碑は毛利氏の崇敬を受けていた仰徳神社の由来を示したものとか。いや、それよりも目を引くのは台座の亀ですよ。亀っていうかたぶん玄武。武神、北の守り神、妙見信仰。
毛利氏の前に山口をおさめていた歴代大内氏の幼名が”亀童丸”だったのは有名な話ですが、毛利の時代(この碑の建立は1770年)にもまだ妙見信仰があったのかなあなんて感じちゃいました。
※ 古来より石碑の台座の亀を「亀跌(きふ)」といい長寿や未来永劫の象徴なのだそうです。妙見信仰関係なしでした。浅学すみません。
指月山の山道は一日に一度、係の方が登っているのかなと。そのくらい踏まれてるし蜘蛛の巣もなく快適です。もちろん観光の方や地元の方々も多く登られているようです。
萩城要害跡
山頂に到着して最初に出迎えてくれるのが、この石垣と萩城詰丸跡の碑。たかが143mの小山と高をくくっていたところに、思いのほか立派な石垣が現れて、びっくりすること請け合いですよ。
あ、僕も初めて知りましたが、詰め丸というのは「戦時に籠城する砦」のことを言うみたいです。
籠城のための設備が色々と残ってました。
城壁
萩城詰丸跡の碑から左をうかがうと白い城壁があります。この城壁には銃眼があります。
白い城壁は昭和41年に復元整備されたもののようですが、石垣や周りの木々と相まっていい雰囲気なんです。見る価値ありです。
城壁沿いに進んで右を見ると、今度は石垣の間から広場がうかがえます。一段上の石積みの向こうに見えるのは二の丸跡です。
石垣に囲まれて右に左に進むってリアルRPG感覚。そろそろモンスターが出てきそうやね。
二の丸
階段を登ったところから振り返った景色です。崖の向こうは海。左手奥方向は長門になります。
この二の丸と本丸の間は土塀で区切られていたそうです。
本丸
あれ、本丸の広々とした写真撮ってないなあ。後でビデオを付けときますのでそれで確認してください。
木々にさえぎられ指月山山頂からの景色は数か所しかありませんでした。これはその一つで、眼下に菊ヶ浜、そして萩の三角州が見えます。
写真よりも動画のほうが臨場感があるかな。
萩城詰丸跡を動画で
指月山山頂の石垣をめぐるのはRPGみたい。面白くてなんかちょっと興奮してユーチューバーの真似事なんかしちゃいました。しゃべりは慣れてないのでへたくそですw
今回は秋の萩城を堪能してきました。
実は指月山のあと、お城の半島を一周できないかなとチャレンジしたのですが、崖に阻まれてあえなく撃沈。歩き足りないので近くの町家を10㎞くらい歩き回りました。
城下町一帯は石垣が残っていたり白壁を残していたりでいい雰囲気でした。陶芸教室もあったりして。僕的には陶芸教室が一番心惹かれたかな。
萩の観光というと有名どころを転々としがちですが、一か所をじっくりと散策するのもまた良しだなあと思った一日でした。まる。