8月22日土曜日、山口県中部から東部にかけて出された雷予報を避けて、下関の四王司山から勝山を縦走してきました。
先の記事では勝山御殿から四王司山展望台までをご紹介しましたので、本記事では四王司山展望台から勝山、そして勝山の下山コースをご紹介します。
四王司山の記事をお読みでない方はまずはこちらからどうぞ。勝山御殿に関する記事はかなりお薦めです。
勝山へ縦走
緩い下り
四王司山展望台から四王司神社様にいったん戻り、道標に従って勝山を目指します。
歩き始めは稜線なので、四王司山の登山道と同じくらい踏み込まれ、綺麗な道になっていました。
しかし緩い下りに入ると左右から木が張り出していたり、岩がむき出しであったりと道が荒れてきます。だいたい1人分の幅しかありません。
岩山展望台
岩山展望台への細い分岐がありました。
そのままメインの道を田倉・勝山へ向かえば良いのですが、「100m」なんて小さく端書きがあるので、ちょっと行ってみようかなと。
「急、ロックあり」とも書いてありましたが(笑)
確かに急です。写真もブレブレです orz… しかし左右にロープの補助がありますので登れないわけではありません。
ガスって見ずらいのですが、角度的には竜王山や鬼ヶ城だと思います。
これから目指す勝山が、木の陰から少しだけ見えました。
稜線が繋がっている風ではないので、一度降りてまた昇るようです。
ずいぶん先の尖った山だなあ。
急な下り
岩山展望台から降りて、メインの縦走路を結構下ったところに景色の開けた場所があり、2つ目の展望台がありました。
勝山の全貌が見えます。やはり先のとがった山です。
勝山へは、人1人が通れる溝のような小道を延々下っていきます。真砂土で滑るために足を慎重に運ばなければなりません。
下りのこの状況は膝に負担がかかるんですよね。下りなのに結構きついです。
なんだか降り切った感のあるところまでやって来ました。ここからは、かつて工事車両が入ってきていたであろう荒れ道が続きます。
と思ったら、勝山への分岐点を発見。四王司山1,100m、勝山750mと書いてあります。今、降りてきた道は1km以上あったのか。
だとすると、ここから勝山に750m上るのはきついかも。
勝山登り
まあ行くしかないんだけどさ。
取っ付きはゆるゆる。入山を拒むようにシダが左右から張り出して嫌な感じがしますが、すぐに山道に変わりました。
先ほどの分岐から70mかあ。小まめに道標が出てくると進んだ感があって良いですね。
この道標の向こう側が広場というかちょっとした丘になっていまし、鉄塔が立っていました。
そしてこの鉄塔、周りに柵もなく入ってはいけませんの看板もありません。
面白いので生まれて初めて鉄塔を真下から撮ってみました。
こんな風景見たことあります?
丘を上まで登ると勝山登山口と書かれた道標を発見。頂上まで約40分だそうです。
大体650mで40分かあ。急なんだろうなあ。
クマザサが道をふさいでるところがあったり、そこそこ急だったりする道を乗り越え、少しだけ岩登りをすると
ひとやすみ展望台に到着です。
ここは日陰はありませんが、平たい岩に座ることが出来ます。
四王司山展望台から歩きづくめなので、あとどのくらい登るか分かりませんが氷の入ったお茶を水筒半分ほど飲み、体を冷やすことにしました。
生き返るねえ。ついでにタバコも一服。
やっと人心地ついて、これまで歩いてきた道を振り返りました。
多分ですが向かいの山のとがったところが岩山展望台です。結構、歩いてきたなあ。
しかし手前の鉄塔の位置からするとまだ勝山を半分も登ってないかもしれません。勝山は頂上付近がとがった山だったしなあ…と記憶を巡らせます。
ちなみに、勝山縦走に入ってから誰一人ともすれ違っておらず、道も狭く急で、万が一怪我をすると一人で戻れない可能性があります。
少しだけ反省しました。
楽しい楽しいで歩いてきましたが、ここからは慎重に行くことにします。
慎重に上ること数分、勝山360mの道標を発見しました。山城・郭(出城)跡への道標も併設されています。
十数m先まで進んで山城跡を見ましたが、特にさしたるものもなし。無駄足か。
さらに山の中を彷徨うこと数十分。
先ほどの山城跡からわずかに200m、この間、道はあるのですがなんだか蒸し暑く、息苦しい、重苦しい感じの森でした。
しかーし、やっと勝山120mの道標を見つけましたよ!
ただ、この残り120mがロープ、ロープ、岩場、ロープみたいな感じできつい。
四王司山側から見たときに「とがった山だなあ」と感じたのですが、間違っていませんでした。
少しだけ山腹を巻く道にもロープが張ってあって、足を滑らせたら落ちていくからだなあとビビりました。
ようやく平らなところに出てきて、山頂への看板を見つけました。見上げると木の向こう側に山頂と思われる突起があります。
山頂への道しるべは木にペンキが塗ってありました。
勝山山頂
勝山山頂は狭いですが平らに均されており、そのまわりを木が覆って森状になっていました。
一部が開け光が差し込んできていますので、まずは近い右手に歩を進めます。
開けたところに山城・櫓跡の看板を発見。ただ残念ながら手前の木が張り出して景色はあまりありません。
感覚的には長府方向を見ていると思います。
頂上の狭い森の反対側も開けていて、ふるさと展望台の看板がありました。脚立を利用したベンチも据えてあります。
こちらからの方が眺望が良いですね。方向的には安岡とか綾羅木方面を見ているのだと思います。
少し目を右にやると竜王山や鬼ヶ城も見えます。
勝山の歴史
頂上に看板があり勝山の歴史について書かれておりましたので、書き写しておきます。
勝山(361m)の歴史
平成15年3月 勝山三山を守る会
勝山村(明治31年)の地名の由来となった山、頂上周辺は絶壁で要害の地、付近に山城の遺構である郭(くるわ)や櫓(やぐら)跡がある。大永元年(1521)から大内家の重臣、内藤興盛が九州に対する備えとして在城した。
弘治3年(1557)3月、毛利元就に追われた大内義長が山口を棄て、内藤隆世とともに籠城した。
毛利軍は攻略に手間どったため、矢文を放ち降伏を促した。投降の勧告を受けた隆世は、主君義長の助命を請うため、一身に責を負い自刃した。義長は、直ちに下城し長府の長福寺(功山寺)に入ったが、毛利軍に攻められ自刃した。
大内氏最期の山城、落城後、毛利元就が入江箸親を城番として置いた。
なるほど。隆世よ、今日は俺が守っといたぞ。
勝山 下山
下りは15分程度で谷あいまで降りてくることができます。
かなり急傾斜なため木々にロープが渡されています。このロープを握り足元をしっかり確認して降りていく必要があります。
道はよくありませんがポイント、ポイントで道標は出てきますし、木にもリボンが巻かれていますので迷うということはありません。
僕は勝山御殿に車を停めたので、とにかく御殿と書かれている道標をたどりました。
最後の道標を曲がると、山が終わり、平地が近い雰囲気の道に変わりました。
その先が谷あいの地形になっており、砂子多川の源流となる2つの沢の間を歩いてゆくようになります。
2つの沢はやがて1つになり川となります。
この川に沿って下っていくと舗装路にぶつかりました。門には一切宗の大きなモニュメントがありました。
ぶつかった舗装路を下っていけば、勝山御殿です。
今日のコース
勝山御殿で登山マップを見つけました。
四王司山に向かって右に上がっていき、左に下りて、展望台を経由して勝山、そこから近道で降りてきたということですね。
たったいま歩いてきた僕にはとても分かりやすい図です。
いつものYAMAPのコース図も載せておきましょう。山印は、四王司山、岩山、勝山です。
勝山頂上付近の等高線が酷い(笑)
四王司山は何組かのご夫婦にすれ違ったことからも分かりますように、よくよく整備された抜群のハイキングコースでした。また行きたくなる気軽さです。妙齢の女性と歩きたいかも(照)
勝山は登りも下りも急傾斜で、道も険しく一人で歩くには注意が必要。妙齢の女性と二人でももう行きません(汗)
真夏のハイキングは水分・塩分補給が大切です
真夏のハイキングは汗をかきまくるので水分補給と塩分補給が必須です。
氷を入れた冷たい麦茶を飲めば、体が中から冷えますので体力の回復も早いような気がします。
あと休憩ごとに塩飴も。体の中の塩分が足りなくなる前に舐めましょう。
うまい具合にカミナリを避けて一日、下関の山中で遊ぶことが出来ました。帰りに宇部のあたりで大粒の雨と雷鳴にやられて運転には往生しましたがw
日中、離れていた山口市も落雷が結構ひどかったようで、僕の知る某施設にいたっては電灯のボードがやられていました。メインの系統でなくて良かったなーとほっと胸を撫でおろしているところです。
さて、もうすぐ9月に入りますね。この週末が台風などで天気が崩れなければ良いのだけどと心配しております。晴れていればまた山に行くしね(笑)
皆さんも、健康と天候に気を付けられて、山やキャンプと週末をお楽しみください。
週末リセットは森林の中で、コロナになんか絶対負けない。
それではまた。