日本三奇の一つ、生石神社の石の宝殿。播磨風土記にもその形状が記されているという、いったいいつ、誰が、なんのために作ったのかまるで分らないモノリスだ。
生石神社に行ってみた
「石と地層を地形を楽しむ/はりま山歩き」という本を買いまして、そのNo.9に載っていた「石の宝殿から竜山」を歩いてきました。
古代ロマンと石の文化を巡るなんてめっちゃ楽しそうじゃないですか。
マイカーでのアクセスだと生石神社能舞台裏の第2駐車場を利用と書いてあるのですが、どうもその駐車場に停めると神社さんへは横入りになるようなので今回は近くの高砂市総合運動場に車を停めさせてもらいました。
高砂市総合運動場を出ますと、その入口に「ようこそ高砂市へ」の看板とがんぜきを持った爺さんとほうきを持った婆さんの像がありました。
あれ?これはもしかして?
高砂市ってあの『たぁかぁさぁごや~』のたかさごなの?
これについては別記事にて。
高砂市総合運動場から生石神社はすぐです。左手には後で歩こうと思っている竜山も見えました。
橋を渡ってこの道をまっすぐ行けば生石神社に行けるに違いありません。
正解でした。初めての土地でこういう案内図って嬉しいんですよ。橋を渡った向こうは行き止まりですが上記のような案内図があり、石畳を登っていけば生石神社さんに正面から入れそうです。
参道手前には家紋石というのがあるようでこれも楽しみ。
石畳の距離はほんのわずかですぐに生石神社東参道に届きました。そして石段を登る手前右には家紋石。ほほう。「丸に右重ね違い鷹の羽」ですな。誰の家紋か書いてなかったのでなんにも分かりませんw
社紋でもなかったしなあ。旧鳥居の説明のところに何か書いてあったのかな。見逃しました。
地図に載せたのなら看板は欲しいなあと思ったり。
急な階段(途中に車道が横切りますので注意が必要)を登っていくと楼門が見えてきました。この石段、幅がせまいのでかなり古いものですね。
楼門を抜けると拝殿入口。明日が春祭りとのことで氏子の皆さんが神社幕などを手直しされていました。「通って大丈夫ですか?」とお声がけして横から入らせていただきます。
拝殿も諸々化粧直しをされているご様子。お社の上に人がいらっしゃるので頭を垂れるのは気恥ずかしいのですが一礼をして奥へと進み…おっとその前に御祭神を確認しておきましょう。
左に大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)、右に少名毘古那命(すくなびこなのみこと)とあります。まじか。
大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)って大国主命(おおくにぬしのみこと)のことです。少名毘古那命(すくなびこなのみこと)は大国主の国造りを助けたちっちゃい蝶のような神様。お二人とも出雲神話に出てくるような神様なんです。
兵庫県は奈良で起きた大和王権にも近いし、天孫降臨後のお伊勢系(天照大御神系とでも言いましょうか)なのだと思っていました。そう言えば高御位山にも大国主が祀られてましたし播磨は意外に出雲文化圏なのかもしれません。
日本三奇、石の宝殿
いよいよ日本三奇の一つ、石の宝殿です。拝観料は100円とのこと。拝殿をくぐって本殿に進みます。
おお!なんという石の規模感でしょう。
写真だとうまく伝わらないのが残念です。
石の拝殿の周りには人が一人歩けるくらいの側道があります。これ、なんだろうなあ。大岩を掘り削って真ん中に四角い岩を残した感じ?
生石神社の石の拝殿の下は窪んでいて水が溜まっています。撮った写真になんの加工をしているわけでもないのですがまるで岩が浮いているように見えるんです。
※ それにしても黒すぎ。心霊的ななにか起きたのか?
この石の宝殿は幅6.47m、高さ5.68m、推定重量465tだそうです。播磨国風土記に「大石」と記されていると書いてありますが、実際なところなんだかよく分からないみたいで詳細はなし。
拝殿でいただいた生石神社略記を読みました。
結構長いのでみなさんには「鎮の石屋とは」だけ、要約してお届けします。
神代の昔に天津神の命を受けて大国主と少彦名がここにやってきた。国土を鎮めるにふさわしい宮殿を一夜で造ろうとしたのだが、邪神の反乱を聞いてその鎮圧に赴いた結果、夜明けとなり、宮殿は完成せず横倒しのままとなった。しかし大国主と少彦名の霊はこの石に残り、未来永劫この国を鎮めんとすと言明して去っていったのである。
とのこと。横倒しの記述が重要。
宝殿山
でかい石とか近くで撮影しても規模感が分からないので宝殿山に登ります。
僕の感動をお伝えしたくお社の横から上がれる山上公園に登ってみました。ていうかここはみんな行くはず。
いったいいつ、誰が、なんのために作ったのかまるで分らないモノリス。でも、さっき生石神社略記にあったように、この石を横倒しにするとお宮みたいな形になりますよね。ここ重要。
伝承がうまく作られているのかそれとも別の意味があるのか。それは誰にも分かりませんけれども。
ぐるっと回って反対からも撮ってみました。(実はビデオにも収めたので)僕的には大満足です。
ちなみにタイトルにも示した日本三奇ですが、ここ兵庫県高砂市の生石神社の石の宝殿が石、宮城県塩竃市の塩竃が鉄、そして宮崎県高千穂峰山頂部に突き立てられた天逆鉾が銅で、それぞれ誰が何のためにどうやって造ったのか謎に包まれた宝物として往時の技術を示すものもしくは超えたものとして、三奇と称されているそうです。
僕も日本三奇という言葉はまったく知らなかったのですが、今回いいものを見ることができました。一つ見た以上他のも見たくなりますね。頑張れるかな。頑張ろう。
生石神社から本当にちょいとあがっただけの宝殿山(ほうでんやま)は標高64m。大正天皇も行幸のご様子。
平坦な山頂を少し奥まで進むと先週登った播磨アルプスが見えてきました。右端の少し高い山が先週登ってきた高御位山(たかみくらやま)です。
そう言えば生石神社略記に「石の宝殿を掘った際の砂利は高御位山の猿たちが先導して山に運んだので高御位と名付けた」という記述がありました。そうなると大国主命が高御位に降り立ったのが先か宝殿に降り立ったのが先かでそれぞれの伝承が揺れますね。まあ、それもまた面白い。伝承は諸説あっていいんです。
生石神社を降りる
日本三奇の一つ、生石神社(おうしこじんじゃ)の石の宝殿を楽しみました。次は竜山へ行きます。
明日(4月14日)の春祭りに向けて準備を進める氏子の皆さんに挨拶して宝殿山・生石神社を降ります。
今更ですが側道に生石神社の由来書きをみつけました。細かく書き起こすのはパワーがないので覚えていればそのうちやってみます。詳細は画像アップで見てください。
最後に一つだけ面白いものを見つけたので載せておきます。
側道を降りて鳥居を振り返り一礼しました。
扁額を見上げると「生石子神社」と描いてあるようです。
「子」の字が一字多くない?
ちょうど神社を降りてきた近所のおばちゃんに聞いてみたら、おばちゃんも「なんやあれ」みたいな反応でした。たしかに生石で「おうしこ」読みは無理があると思ったけれども本来「子」の字が付くんかな?
なんやあれ?