防府市台道の観音山に行ってきました。
と、その前に、
最初にこんがらがるような山名のお話しをすこし。
防府市台道の楞厳寺山(りょうごんじやま)の麓には、今回登った観音山があります。
周南市湯野の観音岳の麓には楞厳寺(りょうごんじ)というお寺さんがあり、観音山も観音岳も子安観音様を祀っていらっしゃいます。
次に摩崖仏の話し。
防府市台道の観音山には三十三摩崖仏がありますが、近くの火の山連峰にも観音山があり、更に同じ連峰の陶ヶ岳には摩崖仏があります。
ついでに、防府市右田の右田ヶ岳の麓にある石船山(せきせんざん)にも三十三摩崖仏があったりして、これがややこしさに拍車をかけてるんですね。
検索キーワードによっては、これらがどれもごっちゃに表示され、検索したいものが見つけられないことがあります。
今回はこの混乱に終止符を打つべく、「防府市台道、観音山の三十三観音摩崖仏」ならコレ!という記事を書きたいと思います。
“防府市台道”の”観音山”への行き方などについては最後にまとめますね。
防府市台道、観音山の三十三観音摩崖仏
防府市台道の観音山の三十三観音摩崖仏は明治のもので、西国三十三観音を模したものとのこと。
そこで三十三観音様の写真とお名前を一挙公開いたします。
いくつかブレがありますが、そこはご愛嬌ということで、意気込みだけ買ってください(笑) すんません。
慌てすぎですね。今回カメラを新調しまして、まだ使い方に慣れていません。
FX-35なら電源ONから撮影まで片手操作でOKだったんだけどなあ。
防府市台道、三十三観音摩崖仏への行き方
国道2号線から防府西高校を左に曲がります。
防府西高校のグラウンドを左下に見ながら坂を登っていきますと、岩淵山観音寺様が見えてきます。
右に曲がって駐車場を使わせていただきましょう。
岩淵山観音寺様の駐車場の一番奥に三十三観音摩崖仏への道標があります。
ここからは歩きです。とっつきはコンクリートの坂道ですが、木に囲まれると徐々に雰囲気が出ています。。
岩淵山観音寺様の奥の院、そして昔の子安観音堂へと続く石段を登っていきます。
昔のと言いますのは、平成五年の集中豪雨による土石流で本来の観音堂が流されてしまったようなのです。
流された道は今は整備され、観音堂は中腹に新しいものが再建されています。
子安観音堂古址まで上がってきました。
三十三観音摩崖仏へはここから左に入っていきます。
道標もありますので初めてでも迷うことはありません。
道は回廊となっており、最もきつい上りでこのくらいです。
前の写真の崖を回り込んで降りてくるようになりますので、むしろ後半の下りの坂道を滑らないように気を付けたほうが良いかもしれません。
観音山頂は海に向かって景色が開けています。
頂上手前では子安観音様がお出迎えしてくださいました。ありがとうございます。
札番号を付けていらっしゃらないので、すぐに気が付きましたよ。
岩淵山観音寺様
さて、観音山をぐるりと回って降りてきましたので、お世話になった岩淵山観音寺様をご紹介しておきます。
当寺は大同三年(808)、弘法大師諸国巡歴のおり、山肌の奇岩と瀬戸の風光に感動、霊域として開創したと伝えられる。
禅 曹洞宗 岩淵山観音寺由緒 看板から
山の観音堂には、大師開眼と伝えられる本尊子安観世音菩薩、本堂には聖観世音菩薩をまつり、のち大内二十四世多々良弘世朝臣により、周防国第二十六番の観音霊場となった
嘉永五年(1628)、毛利輝元公の姫君で吉川広正公御室は、観音堂(本堂)客殿等を重建、同十一年(1634)、広正公は観音堂前に石灯篭一基、同十九年(1642)、御室は梵鐘(現存)一口を鐘楼とともに寄進した。
延宝二年(1674)、住持無一道縁(開基)は、その師右田天徳寺前住一線鉄同大和尚を中興開山に勧請し、天徳寺末十三所の一つと定め、寺門の興隆護持につとめた。
そののち三百有余年、三十三の化身により人々の苦難を除き、願望をことごとくかなえてくださる観世音菩薩の深いお慈悲と、広大無辺な霊験を信仰し帰依する多くの老若男女に支えられ、由緒ある安産・子育て・子授け祈願の「岩淵観音」として現在に至っている。
境内には聖観世音菩薩・地蔵菩薩・乳観音さま・お薬師さま・お大師さまをまつり、梵鐘は昭和五十四年、市の有形文化財に指定された。なお現伽藍は昭和五十五年二月に落慶した。
なるほど。
防府市右田の石船山麓にある天徳寺様とは三十三観音でつながりましたので、ややこしさは少し紐解かれましたが、周南市湯野の観音岳や楞厳寺様との所縁は相変わらずみつかりません。
次は岩淵山観音寺様の向こうに見える佐野山・楞厳寺山に行ってみましょう。
なにか関係がみつかるかも。