先週、あれだけヘトヘトになったのに筋肉痛の消えた水曜日にはソワソワし始め、金曜日にはLINEでどこを登るかの相談が始まるという山馬鹿達。
升井「今週はどこ行きますか。僕的には烏帽子岳リベンジか、金峰山登ってみたいんすよね。」
ふむふむ。金峰山は山口県百名山の一座だし一度は登ってみたいよねーと、金峰山の写真を検索してみたら山頂に向かい合わせの反射板があるじゃあーりませんか。これは面白い絵が撮れそう。
立石「金峰山!」
そんな訳で、金峰山行きが決定しました。
キンポウザンかと思ったらミタケサンだった話
金峰山はYAMAPにルート図も載っておらず、日記を書いている方の地図を眺めて、登山口は大体あの辺りかなと鹿野ICに集合しました。
鹿野ICから向道湖に向かう途中、1つの山頂に鉄塔とその左の山頂に反射板の見える山があります。それが金峰山です。
実はよく分からずに鹿野の旧道を彷徨いましたが、地元のおじさんに聞いたら一発でした。
正式名称ミタケサン
金峰山はキンポウザンと思い込んでいたのですが、鹿野の町中をウロウロしている途中で「金峰/MITAKE」の道標を発見しまして、もしかしてミタケサンと読むのかもしれないと思いました。
周南市の山側には金峰(みたけ)という地区があります。ちょっと調べてみましたら、明治22年、金峰(みたけ)と須万が一緒になり須金村(すがねそん)が発足。須金村は昭和30年に都農町と鹿野町に分割統合され廃止されたようですが、それぞれの地名は今も残されていますので、やっぱり金峰山はミタケサンと呼ぶのが正しいのかもしれません。
家に戻って国土地理院のページを調べたところ、溶岩円頂丘(粘性のかなり大きな溶岩からなる急傾斜の斜面を持つ丘状の火山)のページにミタケサンの記載がありましたので、正式名称はミタケサンということで良いでしょう。
ただ、地元のおじさんに「ミタケサンの入口を探してるんですが」と聞くと「ああ、キンポウザンね」と正されたので、通り名としてはキンポウザンでOKみたいです。
ジモトニ シツレイノナイヨウニ シラベタノニ orz…
金峰山への入り方
鹿野ICから徳山カントリーに向けて国道315号を降りていると、向道郵便局手前の交差点の看板に「←金峰」と出てきます。この交差点を左に曲がり錦川にかかる橋を越えます。
川を渡ったところをすぐに左に曲がるので、橋上は徐行しましょう。
橋のたもとを曲がった先にある金峰山登山道案内板がこれ。この看板を見つけたら、後は道なりです。
上の写真の「金峰山→」の看板を見つけると、その先は車で入るにはちょっと厳しい轍に変わります。看板の右側手前に車が3~4台停められるスペースがありましたので、僕らはそこに車を停めました。
金峰山登山
金峰山は標高789.9mで、角閃石安山岩からなる鐘状火山だそうです。
金峰山をネットで調べると周南市最高峰なんて記事が散見されますが、周南市の最高峰は1,085mの弟見山、2番目は1,004mの莇ヶ岳で、金峰山はそれに次ぐ3番目ではないかと思います。ちなみに4番はこの前登れなかった697mの烏帽子岳です。
標高789.9mは山口県百名山だと西鳳翩山や華山くらいの高さなのでピストンで歩く分には大したことないと思うのですが、金峰山は一の岳、二の岳、三の岳と三つのピークを持つようなので、上げ下げが酷いと先週みたいに死んじゃうかもしれません。
大丈夫。先週の反省の下、水は十分あります。張り切って参りましょう。
一の岳はやまびこが凄いの
ヤッホー!やっほー…ヤッホー
まずは一の岳を目指します
車を停めたところから先は轍の深い荒れた道でしたが、さらに奥に進むとコンクリ道が現れます。コンクリ道の入口には道標がありますので安心して進めますよ。
ちなみに写真の升井君は道標を指しているわけではなくレッツ!スターティ~ン!とポーズを決めているのです。この日の升井君はやたらと「レッツ!スターティ~ン!」を多用していました。
何か悪いものでも食べたのではないかと心配です。
コンクリ道の終わりには「最後の水汲場」の看板があります。ここから野道に入っていくわけですが、とりつきのコンクリ道が思いのほか急だったり、イノシシに遭遇してしまったり、なかなかワイルドだったので、この水汲み場で心を落ち着かせます。
水は飲みませんが、最後のということなのでタオルを水につけて頭も冷やしておきました。
タイトルの通りですが、取りつきの野道はあまり踏まれておらず、蜘蛛の巣もいっぱい。濡れた小道なので、露出した岩に気を付けないとつるっと滑ります。
野道の途中には石に刻む会/石を刻む会のケルンがあり、これを折れると尾根の明かりが見えるようになります。
ところでケルンの向こうに大きな落石の跡が見えたように思いますが、あのケルンは慰霊碑的なものなのでしょうか。思い出の丘といい、ちょっと気になるネーミングです。
明るい尾根に出てくると「思い出の丘」の看板がありました。この先の道を見るといよいよ山登りになりそうなので、ここで一息いれます。先週のダメージが完全に払しょくされているわけではないのでのんびり行きましょう。
思い出の丘からはしばし気持ちの良い登山道ですが、これは長くは続かず林に突入します。この林の中ではパタパタと音がし始めて、何かと思ったら通り雨でした。音はするものの、体に雨粒が当たることもなく、割と深い森だと実感しました。
もう少し上がると下草がほとんどなくなります。この辺りは岩が露出して木の根が張り出した道を登るようになりました。
この岩が角閃石安山岩でしょうか。苔むしているので注意しないと足が滑ります。
写真を撮ったすぐ上には大岩があり、そこには仏様が祀られていました。
大岩からは左へ巻き道となり、明るい植林帯の中を進むようになります。道から下界の景色はありませんが、木々の隙間から入る日の光が本当に気持ちが良い。
右を見上げると頂上と思わしき山の切れ目も見えますから気分も上々。俄然、歩も軽くなります。
このケルンは一の岳の少し手前になります。頂上付近ということもありますが、下枝がしっかり打ってあるのでこの明るさ。
また先ほど「下草がほとんどなくなり」と書きましたが、山のかなり低いところまで人の手が入っているということなんですね。
職人の大変なご苦労だと思います。素晴らしい道でした。
さあ、一の岳はすぐそこです。行きましょう。
一の岳到着
山頂付近の植林帯を抜けると一の岳の看板がありました。その向こうに鉄塔が見えますね。下から見上げた時にも山頂に鉄塔が見えました。これが一の岳です。
鉄塔からは鹿野の町がよく見えました。
ところで皆さん、山に登った時にヤッホー!って叫びますか? 恥ずかしくてやらない?
僕はめっちゃ叫びます。ストレス解消とかそういうのじゃなくてやまびこが楽しいから。
これまであちこちの山でヤッホーと叫んできましたが、この金峰山の一の岳のやまびこは凄いですよ。
鹿野の町のほうに向かってヤッホーと叫ぶと、正面からのやまびこが返ってきて、しばらく遅れて後ろからもヤッホーって返ってくるんです。
驚くくらいにハッキリと後ろから聞こえるので、升井君と目を見合わせましたもん。
それで升井君とヤッホー、ヤッホー叫び続けたんですけど、あれって下界にはどう聞こえるんでしょうね。
鹿野町方面の方には五月蠅かったかもしれないです。すみません。
金峰山山頂でゴジラを捕獲
金峰山山頂へ
一の岳から金峰山は割と近く稜線に高低差は殆どありませんが、何にせよいったん一の岳からは下るようになります。
この写真から、先ほどの植林帯がいかに手入れされていたかがまたよく分かりますね。
大抵の山は山頂付近が急坂です。金峰山もご多分に漏れずですが、山頂手前はなぜか植生が変わって笹だらけなんです。
足元はむき出しの岩で濡れているので注意が必要です。
金峰山山頂
山頂だー!あれ? 金峰山山頂も一面草で覆われていました。歩けそうなところも膝丈くらいの高さの草。この草の中を歩き回って二の岳、三の岳への道を探しましたが見つけられず、これはもうゴジラ捕獲作戦に移るしかありません。
升井君にイメージを伝えて早速撮ってもらいましたが、出来上がった写真はなんだかFirst Take風。
「立石です。皆さんのために歌います。
よろしくお願いします。
Oh、まきばはーみーどりー」
ってマイクがデカすぎるよ。
写真に写る この不思議なでかマイク 反射板は消防通信設備でした。
めっちゃ上手くいきました!の声をもらって思わずニッコリ。ゴジラ捕獲作戦大成功です。
いや、大成功なのかは分かりませんが、取り合えず狙った写真は撮れたので、あとは三角点をゲットして撤収しましょう。
金峰山の二等三角点
周りの草を踏んで、手で押さえて、金峰山の二等三角点をゲット。なんで赤く塗ってあるんだろう。
金峰山の二等三角点の基準点名は「岳1」です。
なんとも変わった名前なのでちょっとだけ測量官を追ってみました。三角点には冠字選点番号というのがありまして、お名前までは分かりませんが、測量官IDで絞り込むことができるんです。
金峰山の冠字選点番号は「高二4」。明治の頃は冠字が二文字付いてるそうなのでID「高二」が4番目に調べた山ってことですね。
国土地理院の基準点成果等閲覧サービスでIDを絞ると、明治の頃の測量官「高二」さんは山口県の周南・岩国・大島あたりの二等三角点が受け持ちだったことが分かります。
琴石山や千防山、大星山等は普通にそのままの名前を基準点名として付けているようですが、なぜか金峰山だけ「岳1」なんて名前を付けています。気まぐれか?
この方、京都の丹後半島の根元の三等三角点も調べてらっしゃいますので、ちゃんとした方だと思うのですが、変ですねえ。一の岳を格好よく呼びたかったのかな。
金峰山下山
藪を漕いで金峰山山頂から降りてきました。
金峰山山頂から一の岳の間には分かれ道が1つだけあります。「これ二の岳に続くんじゃないすか」と升井君。いやどう見ても下ってるだろう。でも、下りなら下りでいっか。ピストンはつまんないし行っちゃおう。
黒い塩ビの階段が続くので間違いなく道ですが、方向的には裏山。これを延々下っていきます。
車を置いてきたところとは別方向に進んでる気がしますが、まあ知らない道を歩くから冒険なんだし、里に出てから大回りで駐車場に戻ればいいやとお気楽に進みます。
途中、マムシちゃんを発見してビビったりしながらたどり着いた先は何だかよくわからない広場。その先にはトラックが入れそうな林道が続いていました。
塩ビの階段の途中の林もよく整備されていたので、多分、林業事業者向けの道なのでしょう。
広い林道を進めばどこかの里に出るはずなのに、枝道を見つけると「これ行ってみましょうよ。二の岳かもしれませんよ。」という升井君。登ってみると鉄塔があるだけでした。
鉄塔の先にもリボンがあったので進みましたが、そのうちに道をロスト。ちょっと崖っぽいところを降りて林道に復帰するなど、結構無茶苦茶に歩きました。これで方向感覚もロスト。
途中割愛。山頂近くの分かれ道からずっと駐車場から外れた方向に歩いてる感覚だったのですが、林道は最終的に向道湖側に繋がっていました。
なんのことはない、金峰山をグルっと1周できたので道の選択はベストだったってことです。まあ、僕ら山の中では地図を読まないんで、ベストだったことに気が付いたのは林道の終盤なんですけどね。
金峰山の周回ルート
金峰山の周回ルートを置いておきますね。赤丸は山頂近くの分かれ道のところです。感覚的にはへんてこな方向に進んでるなあと思いますが、道なりに歩けば無事に帰ってこれます。ピストンよりも楽しいです。
次は山頂に草の生えてない時期に行きたいな。藪もひどいし、ゴジラを捕まえるなら冬とか春先とかが良いのかもしれないなあ。撮影ポイントが限られちゃうし。
記事中に須金の成り立ちについて書きましたが、金峰山の近くには須万、須々万、中須、須金など「須」の字の付く地名が沢山ありまして、なぜなんだ!と今度は「須」の字が気になりましたので調べてみました。
しゅうなん地域づくり応援ブログ様の記事「地名の由来」から一部抜粋。
その当時、平家の中納言雅頼の子、秋月丸は父を慕って壇ノ浦まで来たそうですが、すでに平家は合戦に敗れていて、父の消息も不明のため、長谷の御所ヶ谷に住みつき、忘れることができない懐かしい故郷の須磨(現在の兵庫県)の地名をとって、現在の須金の北部を「須磨」と名づけたそうです。
また、現在の須金の南部については、神亀5年(728)大和国吉野の金峰山の御嶽より蔵王権現をこの地に勧請した際、地名を金峰と改め、呼称も御嶽をもじって金峰(みたけ)にしたとされています。
その後、須磨は「須万」村となり、明治22年須万村と金峰村が合併して須金村となりました。
http://shunan-inaka.jugem.jp/?eid=987
なるほどスッキリしたー!と言いたいところなんですが、今度は別の疑問が。須々万はなぜ須の字が重ねられたんでしょう。地元の方、どなたかご存知ありませんか。
FBで疑問を投げかけたところ角家主(つののやかぬし)を教えていただき、先のページにあった紀の村や都濃という言葉がつながりました。
角(都努・都濃)臣氏は紀氏と同族で、紀角宿禰の子孫である小鹿火宿禰が紀小弓の喪に服するため、新羅から帰国した際に、角国(周防国都濃郡)に留まったため、角臣の氏姓を授けられたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%AE%B6%E4%B8%BB
小鹿火宿禰(おかひのすくね)についての詳細もwikiがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%B9%BF%E7%81%AB%E5%AE%BF%E7%A6%B0
凄いねー。地名を彫ったら日本書紀にまで遡っちゃったよ。びっくりだ。