【里山徘徊】姫山伝説はこの俺が覆す【できるのか?】

【里山徘徊】姫山伝説はこの俺が覆す【できるのか?】
山口市内と姫山の位置関係
山口市内と姫山の位置関係

問田川・仁保川・椹野川に囲まれた天然の要塞であり、山口大学吉田キャンパスの裏にそびえ、平川と大内を分かつ、山口市内でもっとも有名な里山といえば「姫山」です。

他にも素晴らしい山がかくある中、この姫山が山口市内にその名をとどろかせている理由には、上記のような地理的な要因以外に、むごたらしく悲しい言い伝えがあるのです。

今回、その悲しい伝説に終止符を打つべく、不詳私、姫山ハイキングを決行してまいりました (`・ω・´)ゝビシッ!

おお!今回なんか俺、出だしは勇ましくて格好いいじゃん。

姫山への入り方

登山口の鳥居
登山口の鳥居

中央高校の交差点から仁保川を渡って、次の角を斜めに入り、姫山橋で問田川を渡れば鳥居が見えます。

この鳥居の近くに駐車場はありません。住民の皆さんのご迷惑にならないようにするには、車がギリギリ停められる幅の川沿いのどん詰まりにバックで突っ込むしかないでしょう。

姫山伝説ってなに?

ところで、姫山伝説ってなに?というのは、今回の記事において大事なところです。先の姫山登山口に建てられた看板から、姫山伝説にかかわる部分だけを抜粋して説明をいたしましょう。

姫山(ひめやま)の看板
姫山(ひめやま)の看板

その昔、殿様が、美女を見初めて、無体な恋慕をよせ、殿中に捕らえ入れて想いをとげようとしたが、美女は節操固く殿様の邪意を受け入れなかった。
殿様は美女を縛って城の井戸に釣り下げ蛇せめにした。美女は悶え苦しみ、美しく生まれた身のつらさを、二度と後々の女性にさせぬため「この山から見えるかぎりの土地では、永久に容色兼英の女性は生まれぬように」と悲しみ悶え死んだという。姫山の名はこれに由来するというのである。

大内さとづくりまちづくり推進協議会

この殿様というのが大正時代の書き物によれば大内義隆であるとか、二の丸様誘拐事件という史実に基づけば毛利輝元であるとかいう推論がありますが、そんなことはどうでもよく、悪いのは殿様であって美女が殿様を恨むならともかく、後世の女性に呪いをかけるというのは如何なものかと僕は考えるわけです。

「殿を憎んで人を憎まず!」これです。

幸いなことに姫山の麓で生まれたうちの娘たちが容色兼英かつ健康に育ちましたので、「姫様の呪いはとけたぞー!」と山頂から声高らかに宣言し、21世紀のここに呪いは終結したのだということを世に知らしめようと思ったわけです。

えっへん。

さて、それでは鳥居をくぐってまいりましょう。

姫山ハイキング開始

いきなりガレ
いきなりガレ

鳥居をくぐって見上げるといきなりガレです。姫山は市内にポッコリ現れる199m程度の小山ですが、想像していたより巨石が転がり、多くの山城にあるパターンでした。

ふと横を見ると回り道が用意されています。蜘蛛の巣が道を塞いでいるのが難点ですが、写真よりも道は整備されていました。木の枝をぶんぶん振り回して登っていきます。

中盤からシダ
中盤からシダ

木の生い茂る麓部を抜けると次はシダの洗礼。足元は踏まれているので道に迷うことはありませんが、例によって半そでと里山を舐めてきているので、腕にあたる感触がきっしょいです。

ついでに、気を抜くと蜘蛛の巣が顔にかかってきます。

少し空が開けました
少し空が開けました

山頂まではまだまだですが、急に空が開けて、なにか木や草を刈りこんだようなところに出てきました。なにやら石の祠のようなものも遠めに見えます。

お社様
お社様

登ってみると先ほどの祠に見えたものは灯篭で、その奥に立派なお社がありました。地元の方が手入れをしていらっしゃるのでしょうとても綺麗なお社様です。

ところが、ここまで綺麗なのにどう検索してもお名前が出てこない。

きっと姫様の鎮魂のためのお社であろうと自分の中で結論付け、僕も鎮魂をお祈りしておきました。

大内長野方面の景色
大内長野方面の景色

お社が見守っていらっしゃるのは山口市の大内御堀方面。中腹からの眺めなのですがこれがなかなか開けていて良い。山口市が盆地であるのが良く分かる絵面です。

この日は台風前で湿度が60%近くあったのですが、木陰に涼しい風が吹いてきました。

大内人形(大内雛)を模したガスタンク
大内人形(大内雛)を模したガスタンク

もう少し右に問田方向に目をやると大内人形(大内雛)を模した山口合同ガスさんのガスタンクが見えました。山口合同ガスさんは「地域の美観の維持に少しでも貢献できればとの思いで、球形ガスホルダーや貯槽などにペイントを施しています。」とのことで、素晴らしい地域貢献をされています。

ちなみに大内人形というのはこちら。

姫山伝説と違って、大内人形には優しいお殿様の逸話があります。

京から連れてきた幼いお姫様が都を懐かしんで寂しがるので、お殿様が人形をたくさん作らせて寂しくないようにしたんだとか。大内雛が笑顔で並んでいるのは仲睦まじい二人を象徴しているのかもしれませんね。

お社の左から上がっていきます
お社の左から上がっていきます

さて、休憩を終了し、お社の左から上がってゆくことにします。

ここまでの道はお社に来られる方のために整備されており、また結構踏まれていましたが、ここから先は”好き者”しか進まないようで、結構急でところどころ赤土が出ているような道となっていました。

とは言え道がある限りは進んでいきます。

姫山登りの分岐点
姫山登りの分岐点

お社から10分程度登ったところで正面の道がなくなり、”おそらく”左に巻いていく分岐にやってきました。

ただ、シダで覆われているのですが右にも行けそうな感じがします。

あれ、これ、どっちなんだ?

どっちに転んでもシダを漕いでいくことになりそうです。うーむ。

よしっ!撤収!

言い訳<(_ _)>

えーっと、タイトルだけ偉そうなこと書きましたが、実はお昼から台風10号の影響で遊べなくなるので、午前中に行って帰れる近所の里山を適当に選んだだけなんです。すみません。

メジャーな里山なんでもうちょっと道が踏まれてるのかと思ってました。

今日は半そでだし、ルートも見てないし、昼から雨降りそうだし、YAMAPも立ち上げてないという体たらくでして、なんともこれ以上進めません。

えっと、近所の山なんで、全山口女子の為に、次回もうちょっとちゃんとして出直してきます。

現場からは以上です。

2020/09/08 追記

仕事で山口市内を走っていたら良い風景があったので追記しておきます。

問田川傍から見る大内人形のガスタンク
問田川傍から見る大内人形のガスタンク

ついでに大内人形にかかわる逸話も再掲しておきますね。

室町時代、山口の地に居を構えた大内9代 大内弘世は京から花嫁を迎えましたが、花嫁が都を恋しがり、毎日寂しがっていたため、京からたくさんの人形師を呼び寄せ、屋敷中を人形で飾り、花嫁を喜ばせ、二人は幸せに暮らしたそうです。
現代のような伝統的な技法により漆塗が施された人形が制作されるようになったのは大正時代からですが、このいわれから男女一対の「大内人形」が誕生し、地元では夫婦円満の象徴として親しまれています。

旬レポ中国地域 2016年10月号

だいたい合ってた。良かった。

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