8月12日は午後から雷予報。午前で行って帰れる山がないかと探したところ、周南市の昇仙峰が261mとお手軽そう。
この昇仙峰には戦中の遺構が残っているらしく、終戦記念日も近いことですし、今行くにはふさわしい山なのかもなあということで山行してきました。
昇仙峰までの経路
道の駅ソレーネ周南を目指します。
ソレーネ周南から山口方面に向かって1つ目の信号(セブンの交差点)を左に入ります。
道なりに進むとすぐに2連のトンネルがあります。
トンネルを抜けてすぐを右に上がり、高速道路沿いの道を進むと登山口があります。
車は進入禁止になっていますが、スペースがあるのでわきに停めさせてもらいましょう。
駐禁が気になる方は、ソレーネに車を停めさせてもらって、歩いてきても大した距離ではありません。
昇仙峰とは
昇仙峰の登り口に設置された看板を書き写します。
地下上申によると「この山麓に往古正仙坊という寺があった。それ故にこの山を正仙坊山というようになった」と記してある。その後の変遷でいつの間にか昇仙峰と言われるようになった。
昭和六十三年三月 戸田地区コミュニティ推進協議会
頂上から一望できる徳山湾は風光明媚で、今はハイキングコースに利用されるが、昭和十三年四月、徳山湾が海軍徳山要港の裁可を受けてから終戦まで、徳山港防備の要塞として徳山要港警備隊戸田照聴所があった。
今でも山頂付近には、探照灯台、砲台や兵舎跡などの施設が多く残り、平和な戸田地区において数少ない戦争の傷跡を残す山でもある。
昇仙峰 上り
先ほどの車止めをよけて、かなりきつい傾斜の舗装路を登り始めます。頂上までは1.8kmとの看板もありました。
振り返ると山陽自動車道がすぐそこに見えます。
途中アスファルトからコンクリートに変わりますが、上りの1/2くらいは舗装路です。
苔の生えているところもありますが、足元は良いです。
大将軍と呼ばれる経塚に続く段。残念ですがこちらには寄らず、右の道を進みました。
頂上まで0.8kmの看板もありました。
このあたりで舗装が切れ、山道に入っていきます。
昇仙峰 頂上付近
おや視界が開けてきました。
サッシが入れられているために時代が良く分かりませんが、詰所でしょうか。
先ほどの詰所からもう少し坂を上がると底の浅そうな四角いコンクリートが2つ見られます。塹壕でしょうか。
憩いの館との看板がかかった建物がありました。大きさ的に兵舎と考えて良さそうです。
しかし草ぼうぼうで行く気には…
行きました(笑) 長ズボンにハイカットの靴なので少々の草は気にもしません。
サッシの鍵もかかっていなかったので中にお邪魔しました。
古い建物に特有の匂いもなく、涼しい。これはよいと、汗を拭きとってお茶を飲みしばらくのんびりさせてもらいました。
憩いの館に置かれたノート。みなさん、それぞれの思いを書き留めていらっしゃいましたよ。
頂上の直前になにかの台座がありました。おそらく看板に書かれてあった砲台跡でしょう。
昇仙峰 頂上
頂上はちょっとした広場になっています。
木の隙間から防府方面が見えます。海の手前は富海、そのむこうは防府市街と思われます。
正面から向こうに徳山湾が一望できます。
山頂から右手に少し下がると石積みのでっぱりがありました。これが探照灯台跡ですかね。
探照灯台から振り返ると、祠が見えました。徳山湾を見守っていらっしゃるようです。
岩が切り立っているため大きな祠の方はお祀りされている方が分かりませんでしたが、手前の小さな祠は石槌神社様でした。
祠の横に戸田村氏子一同と書かれていたので古いものでしょう。
昇仙峰の頂上に戻りベンチで休憩。
道の駅ソレーネ周南で猫ちゃんの焼きつけられたバウムクーヘンを買っておいたのでおやつと洒落こみます。
おっとその前に、石槌神社様と英霊に気持ちだけ捧げておきましょう。
海から上がってくる風が気持ちよく、昼には帰ろうと思っていたのに長居してしまいました。
徳山湾は今日も平和です。
戦争と自然災害
僕の親父は昭和10年生まれで、昭和20年に本格化した本土爆撃時は10歳、小学4年生でした。宇部の空襲では近所の鍋倉山に逃げ込んで、ただ町が赤い炎に包まれるのを見るしかなかったそうです。目の前で町が、家が、消えていく。その様をただ見守るしかないとかその心内いくばくかと思います。
戦争とは異なりますが、今、日本では自然災害で同じことが起きています。熊本の食材を食べて少しでも復興に貢献できればと思います。
僕の場合はお酒で。楽しんで支援が大事よね。