岩国の由宇町には山口県百名山の一つに数えられる大将軍山がありますが、今回登ってきたのは下松の大将軍山です。
ちなみに周南市の烏帽子岳には大将軍が祀られ、下松あたりで大将軍と言えば烏帽子岳を指すようでして、色々とややこしい。
簡単のため、この記事では下松の大将軍山を瀬戸大将軍山と称すことにします。
米泉湖公園駐車場
瀬戸大将軍山の登山口は、米泉湖公園の駐車場から歩いて5分。
この辺りは20代の終わり頃、徳山の友人と「スエタケ行こか」とよくバス釣りに来ていた思い出の地でして、あの頃はナビなしで県内をよく走りまくってました。
駐車場にハイキングコース案内MAPがありました。
よーく見て、①現在地→②瀬戸大将軍山登山口→③瀬戸河内神社→登山道の分岐を左→⑤松ヶ垰→⑥光明寺跡→⑦旧内藤家屋敷跡→⑤松ヶ垰→④瀬戸大将軍山頂上、と進むことにしました。
左から進むのは「旧内藤家屋敷跡」が気になったからです。
この時点ではどの内藤さんか分かりませんが、山口で内藤家と言えば大内・毛利と仕えた名門を思い出します。
例えば大内最後の当主 義長の助命のために長門且山城で自刃した忠臣内藤隆世とか、大内義興・義隆の二代に仕え三女が毛利に嫁いで毛利輝元をもうけた内藤興盛とか。
ほら、旧内藤家屋敷跡がどんな邸宅なのか気になるでしょう。
瀬戸大将軍山登山口
ではコース図に従ってまいりましょう。
公園駐車場を出発してダム沿いを上流に歩いて行くと、道向こうに瀬戸大将軍山登山口の看板を発見しました。
おお、分かりやすい。
コンクリの坂を登り、折り返すと一の鳥居がありました。
これが瀬戸河内神社につながるんですね。
コース図通りです。
瀬戸河内神社
一の鳥居からは竹林の中を進むと、急に山深くに入った感じになります。
そこに石段が現れ、これを登ると二の鳥居が出現。鳥居の奥には拝殿が見えます。
帽子を取って、頭を下げ、鳥居をくぐりました。
拝殿で山に入ることを報告し、右奥に進みます。
拝殿の奥には本殿。
神社の屋根はどうしてあんなに綺麗なんでしょう。
しばし細かいところを眺めてしまいました。
松ヶ垰*1への分岐
瀬戸河内神社様に別れを告げ、更に右奥の登山道を入っていきます。
竹林を過ぎると山道っぽくなってきました。
この先の分かれ道を右に行き、直接山頂を目指すのであればあと800mで山頂のようです。
このあたりは沢になっていてゴロタを上がっていくようになります。
見上げると治水なのか城山の名残なのか何やら石積みがあります。
というか、この山、あちこちに石積みがあります。
最初に書いたように先に旧内藤家屋敷跡を見たいので、この分岐は左に取りました。
山腹を回り込むような緩やかな登り、落ち葉でフカフカな坂を歩いていきます。
このあたりは道が狭いうえに足元が微妙に谷側に傾斜しているので、フカフカの気持ちよさに油断しているとバランスを崩し体を持っていかれそうになります。
慎重に行きましょう。
フカフカの狭い山道を歩いていたら、突然林道に出てきました。
なんじゃこりゃ。舗装はされてないけど、めちゃめちゃ良い道じゃないかい。
松ヶ垰
先ほどの林道の頂点が松ヶ垰になります。
松ヶ垰を越えて、足元の良い林道を降りて行きます。
この道の途中にはまだ紅葉が残っていましたよ。
光明寺跡まで来ました。松ヶ垰からかなりの距離を歩きましたがここまで来ればもうすぐ旧内藤家屋敷跡のはずです。
この光明寺跡の直前で、竹やぶの中からガルッ!バサバサッ!という音が聞こえてきまして、そのあまりの近さに体が硬直しました。
直後に、やたら尾の長い鳥が竹藪を飛び立ち、僕の目の前を横切って、一直線に山の中へ消えていきました。
と、と、鳥かよ。
俺、死んだかと思ったよ。
旧内藤家屋敷跡
物音にビクビクしながら下っていると、視界が開け、そのむこうに人家が見えてきました。
あらら、松ヶ垰を経由して一山越えたかな。どうも最初に登った分を吐き出しちゃったみたいです。
麓まで出てくると右に看板を見つけ、さらに右上を見上げると石垣がありました。
旧内藤家屋敷跡に違いありません。
坂の上に石段があり期待させます。これを上がると平坦な広場があり、元庭園と思わしき場所はモミジの落葉で埋まっていました。
旧内藤家庭園の看板のうち「内藤家について」の部分だけ抜粋しておきます。
内藤家について
下松市指定名勝旧内藤家庭園 下松市教育委員会
内藤家は、古くから大内氏に仕えていた武家の一族と伝え(られ)毛利氏の中国統一の際に帰農しました。その後、昭和初期に至るまでこの地に居住し、庄屋役を務めていました。
屋敷は写真のとおりで、明治初期には戸長役場も置かれていましたが、現在は石垣石段などの屋敷跡と庭園のみが往時の面影を残しています。
ふむ。やはり名門の内藤家に関わる屋敷跡のようです。しかしこれ以上見るものはなさそう。
石段と庭園があることを知り、他に見るべきものがないことを知る。決して無駄足ではありません。
僕的には大満足です。よし戻ろう。
再び松ヶ垰へ
松ヶ垰へと戻る道は長くゆったりとした上り坂。倒れた看板で確認しましたが、この林道の名前は田屋・大将軍線というようです。
行きは焦りますが、帰りは道も距離も分かっているのでのんびりと歩くことが出来ます。のんびりゆっくり歩けば色々なものが見えてきます。
この坂の緩さも手伝ってまったりした気分になりました。最初から田屋・大将軍線で入れば相当まったりハイキングが楽しめそうです。
自然の色の移り変わりを見ているうちに松ヶ垰につきました。
瀬戸大将軍山へは、この垰から左に入っていきます。
入り口に看板が出ていますので迷うことはありません。
瀬戸大将軍山へ
松ヶ垰から瀬戸大将軍山へ取りついてすぐはなかなかな登りですが、すぐに尾根筋に達します。
そこからはほぼ水平移動。
最後にひと登りを終えると頂上への看板が見えてきます。その登りも補助のロープが張ってあるのでなんということはありません。
看板を見つけると頂上はもうすぐそこ。
※ 下りは松が垰を通らずに直接米泉湖の方に降りていきました。米泉湖に向かうルートは石積みのあった最初の分岐へ合流します。
瀬戸大将軍山山頂
森から視界が開けると瀬戸大将軍山山頂に到着です。
ここははげ山というとか、多分、木を切り倒して整備してらっしゃるんでしょう。これであれば確かに良い眺望が望めそうです。
山頂のお社です。よくよく眺めてみましたが、どなたを祀られているのかは分かりませんでした。
大将軍山という名前からは方位神の大将軍を想像しますが、大凶神ですし3年に1度屋移りされるので特定の山に祀るというのはちょっと違う気がします。
瀬戸大将軍山に関する記述ではありませんが、下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブの妙見菩薩霊応編には下記のような記述があります。
妙見北辰菩薩はすべての菩薩に勝れて霊験利生があることによって、神咒経の中に、「菩薩之大将にして諸菩薩に光目として昿(ひろ)く群生を済(すく)う」と説きなさっている。菩薩の大将とはこの妙見菩薩にたとえると、諸軍の中において大将軍のように、すべての衆生を救おうとして、多くの菩薩を引率して、その魔軍の中に降りなさり、すべての魔を追い払い、すべての災難を救いなさったという。
下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ
大内氏の息のかかった山口県ですから、こういう大将軍の使い方であれば(美祢市の桂木山のように)妙見様なのかなとも思います。
よく分からないので、比較的近くにある烏帽子岳の大将軍様で確認する必要がありそうですね。
最近、ここによく上がられるという叔父様曰く、表は徳山湾、裏は中須や須金、天気が良ければ鹿野あたりまで見えるそうです。
残念ながらこの日は霞がかかっていて山頂からの景色はお預けでした。
この日の360度ビューを載せておきますね。
ビデオにはちゃんと映っていないので、最後に恒例の三角点を。
端が欠けていましたが瀬戸大将軍山は三等です。
瀬戸大将軍山ハイキングコース
米泉湖公園駐車場から瀬戸河内神社を経て登山道の分岐を左に。松ヶ垰を越えて旧内藤家屋敷跡まで降り、再び松ヶ垰に戻ってから瀬戸大将軍山山頂へ。下りは米泉湖と書かれた道標に沿って急斜面を降りる。
旧内藤家屋敷跡を見なくて良ければ往復3kmくらいのコースです。下りで使った右ルートは傾斜がきついので、左回りで松ヶ垰から山頂を目指せばまったりハイキングを楽しめます。
林道 田屋・大将軍線の裏側から入れば坂の傾斜が緩く景色も良いので、更にまったりハイキングになるはずです。旧内藤家屋敷跡の近くに登山者用の駐車場がありました。こちらの駐車場へは旧内藤家屋敷跡でナビすればたどり着けるはず。舗装路の曲がり角に駐車場への道標もありましたので、迷うこともないと思います。
よく晴れた日にもう一度登りたいなと思わせる山でしたよ。
*1 2021年11月08日 松ヶ峠の誤記を全面的に「松ヶ垰」に修正しました。地名はよくよく見ないと間違えちゃいます。すみません。
Wikipediaを見ると「峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所。中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などとも呼ぶ」となっていますが、垰(たお)は厳密には「連なった山の峰と峰の間にあるくぼんだ場所」とのことです。
今年の山はこれにて終了。
足を滑らさないように気を付けて歩いたり、道に迷ったり、獣に吠えられたり、地元山口の歴史が繋がっていったりと山は心躍らせるイベントが多くて実に楽しい。さらに山頂に立てばスカッと爽やかのおまけ付き。
コロナ禍でジムに行けなくなったけど、いい遊びを見つけたな。また来年も歩こう。