狗留孫山へ
狗留孫山修禅寺奥の院を見終わり、狗留孫山への分岐点まで戻ってきた。
ここから頂上までは700mと大した距離はなさそうだ。
修禅寺からこの分岐点までも大した距離ではないので、狗留孫山へ登られる方はついでに奥の院も見られることをお薦めする。奥の院では美しい建築を見ることができる。ちょいとした感動もある。
さて、この分岐点には警告の札が立っている。かなり気になる内容なので書き写しておく。
警告
狗留孫山修禅寺 住職
最近インターネット等の情報を元に、山頂から奥の院へ下る方がいます。
狗留孫山修禅寺奥の院お滝場から上流部は『不動明王と聖観世観音菩薩の結界』とされており、特に清浄な霊域です。従って、入山作法を修する事無く、しかも逆道を辿って下山することは『不動明王と聖観世観音菩薩の結界』を著しく侵すことになり、大変危険です。修験道の聖地を侵す大罪は、早晩『命をもって償う』ことになると言われております。
頂上からの下山は、通常の登山道をご利用ください。
GPSを使って狗留孫山の頂上からお不動さんの滝のところに降りてくる人がいるというお話し。
山頂の奥には確かに降りられそうな道が見えたので、あの道を見て、知らずに降りてしまった方もいらっしゃるとは思う。
が、『命をもって償う』ことになるとはなんとも恐ろしい話しだ。
霊山には霊山のルール。知ってしまったからには禁を侵さないようにしましょう。
僕は通常の登山道を行く。もちろん帰りもだ。
先ほどの分岐を上がり2~3回折れるとすぐに尾根に出る。
尾根はブルドーザが入ったかと思うくらいに広く整地されている。
尾根はそのまま階段へとつながっている。
しばらくは山道、巻き道を歩くことになるが、所詮700mの辛抱だ。
最期にやや暗い森を抜けるとぱっと空が開けた。
山頂だ。
狗留孫山 山頂
山頂ははげ山になっていた。
写真左の岩は自然石が集められ狗留孫山山頂を示す看板を支えている。
右の平たい石はコンクリートで標石を囲んでいる。
狗留孫山山頂からの眺望は周りの木々に遮られるためほぼ望めない。
わずかにこの一角から日本海が見えるのみだ。
朽ちてきているが狗留孫山山頂の看板。狗留孫山 山頂616.3mと書かれている。
狗留孫山三角点
狗留孫山の三角点は二等だ。
二等のわりに随分立派な標石だなあと思い、三角点のランクというものについて初めて調べてみた。
これまで知らなかったのだが、三角点の等級は山のランク付けをするものではなく、基本的に設置順によるらしい。
正確な日本全図を作るためには三角測量が必要とされ、まず40km網が整備された。この時に設置されたのが一等三角点となる。*1
そこからより誤差を少なくするために8km網が整備され、これが二等三角点となる。
以下、4km、2kmと詳細メッシュになるにつれて三等、四等が設置される。
より精度の高い地図が求められるにつれ等級が下がっていくわけだから「設置順による」ということになるようだ。*2
一等は全国に約1,000点、二等は約5,000点あるらしい。以下、約32,000点、約70,000点。
以前、別の山の頂上で四等三角点を珍しいと感じたのだが、実は最多数で珍しいものではないようだ。
*1 三角測量に使うのならば、40km網と言えども見通しの良い高い山が選ばれたに違いないと思うのだが、実は富士山が二等だったり、標高6mの一等三角点があったりということを考えると、本当に山の高さと三角点の等級はなんの関係もないのだなとあらためて知った次第。
*2 三角測量のためなので多くの三角点は明治から大正にかけて設置されたが、設置順についてもちろん例外はある。一例として沖ノ島には平成元年に一等三角点が置かれていたりする。
狗留孫山の三角点は、四隅に保護石がありコンクリで固められている。
二等のくせに(くせにというのは失礼かもしれないが)これほどちゃんと標石が守られているのは結構珍しいのではないかと思う。
当時にしてもそこまで珍しくもないはずの二等三角点をきっちり仕上げたのは、地元の役人の気概の表れだろうか。
はげ山で土が削られてきており、現在の標高はかなり怪しくなってる気もするが大丈夫か?
三角点に関連した映画
ちょっと映画の話しでも。先々月だったか「劔岳 点の記」という映画を見ました。明治期に三角点を設置することがいかに困難であったか。Amazon Prime Videoで見ることのできる山岳関連の映画の中ではかなり良いやつだと思います。お薦めです。
明治39年、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎は、国防のため日本地図の完成を急ぐ陸軍から、最後の空白地点である劔岳の初登頂と測量を果たせ、との命令を受ける。立山連峰にそびえ立つ劔岳は、その険しさから多くの者が挑みながら誰一人頂上を極められずにきた未踏峰の最難所であった・・・
『劔岳 点の記』製作委員会