不思議なご縁で狗留孫山へ行ってきました。まずは中腹にある修禅寺さんのお話から。
不思議なご縁で狗留孫山へ
土曜日、朝6時に起きたのだがだらだらと過ごしているうちに時計の針は9時30分を過ぎ、あまり遠くには行けないなあと遊びに行く山を決めかねていると、女房が「狗留孫山に行ってくれば?」などと言う。
僕:なんで狗留孫山なんて知ってんの?
嫁:なんか随分前に言ってたし?
狗留孫山(くるそんざん)なんて難しい名前をよく覚えてたなあと感心する一方、今週、仕事で顧客と接しているときにも狗留孫山の話が出ていたことを思い出した。
うーむ、わずか一週間の内に、二度も狗留孫山の名前を聞くというのは何かの縁かもしれない。行ってみることにしよう。
実は山口県百名山には狗留孫山が2つ掲載されている。今回山行したのは下関の豊北町の方。
狗留孫山への行き方は説明がむつかしいので割愛するが、写真は狗留孫山の麓にある有名なうどん屋「重兵衛茶屋」さんの分岐のもの。ここを車で右に上がっていく。
※ 2020年11月14日現在、分岐点に工事中の看板が出ていたが、問題なく狗留孫山への駐車場までは上がることができるので付記しておく。
駐車場に到着した。
ハイキング案内図の右下部分にあたるこの駐車場にはトイレも休憩所もある。お参り所ではお守りなども買える。運が良ければ若いお坊様のお話も伺える、駐車場以上にアミューズメント感満載な場所だ。
この案内図を見て、まず本堂に登り、奥の院を見て、狗留孫山山頂を目指すことにした。出発。
駐車場から本堂まで
ここまで本堂と書いているのは狗留孫山修禅寺(御嶽観音)のことで、駐車場から本堂までは登山道というよりも参道になっていた。
おじちゃん、おばちゃん、ぼっちゃん、おじょうちゃんも普通にお参りできる道で実際に多くの方がいらした。
参道を登る途中、目の端で何かが動いたのでよく眺めてみると、脇道で鹿が草を食んでいた。この鹿、たまに顔を上げてこちらを見るが、逃げる様子もない。
美東から西には鹿が多くて、こちらも見慣れているのだが、向こうも人慣れしているようだ。襲われても嫌なので、写真だけ撮ってスルーしよう。
参道のわきに水掛け子安地蔵尊、娘たちのいつかの出産のためにお水をかけ手を合わせておいた。
ご真言は「おん かかかび さんまえい そわか」うーん、なんだろうこのご真言ってのは。南無阿弥陀仏しか知らないんだよなあ。
狗留孫山修禅寺さんは真言宗醍醐派。真言宗は空海(弘法大師)の開いた密教で、修行すれば生きてるうちに仏になれるという宗派だと聞いている。
念仏を唱えれば死んでから救われるという浄土真宗よりも、人間の可能性を認めているように思え、僕的には「真言宗の教えは今の時代に即しているのかもしれない」と腑に落ちるところがある。
真言宗の趣旨自体は素晴らしいと感じるのだが、日ごろ浄土真宗に慣れているせいか、やはり護摩行やお不動さんには違和感。というか山で見るお不動さんは睨まれているようですごく怖い。*1
まあ、怖いからこそのお不動さんなのではあるけれども、基本的に優しい目の仏様で何でも許すよーって浄土真宗なんかがここ数百年のメインストリームで、僕自身慣れちゃってるので、緊張する。
*1 密教には1つの仏が三様の顕れ方をするという考え(三輪身)がある。真理そのものの存在が如来、その真理を人々に説き救済する姿が菩薩、菩薩ですら教化し得ない業悪なるものを懲らしめ真理へと向かわせる姿が明王となる。明王の顔は憤怒相と呼ばれ、慈悲に満ちた如来や菩薩のお顔とは対極となる。右目が上、左目が下という異形がまた怖いのだが、これを天地眼と呼ぶらしい。(仏像の辞典から)
引き続き、よく整備された参道を上がっていく。
段はさほど高くなく、手すりもあるので、ゆっくり上がっていけばよい。
石段をあがったところが開けており、登り方向左手にお地蔵さまがおられた。
六地蔵との看板だが、ずいぶん沢山とおられる *2 し、しかも皆さん綺麗なオベベを着ていらっしゃる。華やかな雰囲気に思わず「はい、チーズ」と写真を撮った。
なにかパーッと朗らかな空気が広がったように感じた。お地蔵さまにも喜んでいただけたと思う。シンとした山の中で人々を見守ってらっしゃるお地蔵さまにも、たまには和みも必要でしょ。
*2 六地蔵は、六道(地獄道、餓鬼道など人が生死を繰り返す迷いの世界)の入口に立ち人々の救済にあたる地蔵菩薩様とのこと。(仏像の辞典から)
狗留孫山修禅寺(御嶽観音)
先の六地蔵様から更に石段を数段登り、右を見上げると狗留孫山修禅寺(御嶽観音)様の楼門があった。
毛利の印も見える。なぜだろう。
これについては狗留孫山修禅寺様の説明を書き写しておく。
狗留孫山修禅寺
本堂手前の看板
御嶽観音として広く知られた古刹。真言宗醍醐派別格本山。狗留孫山霊場八十八ヶ所総本寺。
狗留孫山は別名御嶽とも呼ばれ、古来より山岳信仰、修験道の霊峰として開けている。(狗留孫とは梵語の音訳で「実に妙なる成就」の意)
東大寺建立四聖の一人である行基菩薩は天平13年(741)に当山で修行され、奥の院に聖観世音菩薩を安置されたと伝えられ、天平勝宝6年(754)には、東大寺二世実忠和尚が諸国遍歴の際に当山を尋ねられ、霊石(現本堂右の巨石)を観音岩と名付けられた。
続いて、大同元年(806)唐より帰朝された宗祖弘法大師(空海)は、筑前箱崎より遥かに当山の霊光を拝し、翌大同2年(807)霊光を目指して登山されたところ、観音岩より発する光明の中から大悲の十一面観世音菩薩の尊像を感得され、当寺の本尊として彫刻、安置しておられる。
また、千光国師栄西禅師(臨済宗開祖)は、霊告によって弘法大師以来の当山の再興に大いに努められ、建久2年(1191)には堂宇を建立され、後には伊勢大神宮を勧請鎮座されて神明の御加護をも仰がれている。故に当山では栄西禅師を中興としている。
降っては、後醍醐天皇の勅願所(山門は勅願門)、および毛利藩、毛利家歴代の祈願所(通夜堂は天正17年毛利輝元公の寄進)でもあった。また文保元年(1317)より明治3年(1870)までは長府に当山の祈願所(別院)がおかれていた。
尚、260町歩に及ぶ境内地は、国の名勝と県立自然公園に指定されている。中でも「一本杉」は当山の歴史を物語り、山頂からの眺望は絶景である。
なるほど、毛利代々の祈願所だったということか。
帽子を取り、楼門をくぐろうとしたところで張り紙を見つけた。
『「阿吽の呼吸」(仁王さんになって) ここで体の中の古い空気を全部吐き出して、新鮮な空気を力強く吸ってください。』とある。
こういうのは言われるがままだ。は~~~っと現世のコロナを全て吐き出し、新鮮な山の空気をこれでもかと肺に送り込む。
山の空気は清々しく思いっきり健康な気分になったが、頭が明瞭になると同時に張り紙の言葉が気になった。
阿吽の呼吸? 仁王さん?
あ、ここ、楼門に金剛力士像があるんだ!と気が付いた。
嬉々として楼門の右のお堂に取りつく。
格子からお堂をのぞき込むと、ものすごい勢いで睨み返された。
そして、仁王様の眼光に心を貫かれた気がした。
腰が引けながらも手を合わせ、写真を撮らせて頂く。
今度は左のお堂だ。
既にいらっしゃることがわかっているので手を合わせてのぞき込むが、やはり吽形にも睨み返された。
こちらも頭を下げた後、写真を撮らせて頂く。
楼門をくぐり本堂にお参り。お布施をして線香を立てる。
直接、本堂を写すのは憚られたので、本堂の軒下の彫刻を撮影させていただいた。
素晴らしい彫刻だ。
修禅寺小まとめ
後で、この龍や獅子も阿吽の口になっているというお話を伺った。
梵字の初めの阿・終わりの吽。密教ではこの2字を万物の初めと終わりの象徴として捉えるとのこと。
まあ、阿吽の話しを知っていようがいまいが、密教の教えを知っていようがいまいが、歴史を知っていようがいまいが、そんなことはどうでもよく、この静寂な山の中で、凛とした伽藍に佇み、線香の香りがあれば、思わず背筋が伸び自然と首も垂れるというところ。
それが修験者も集うパワースポット狗留孫山修禅寺だ。
実際、ここにお参りしてから、忙しい中でも心が落ち着き泰然としていられるようになったんだよね。縁があって呼んでいただいた気がするし。あまりスピリチュアルとか信じない方なのですが、個人的に波動の合う素晴らしい場所だと感じました。
次の記事では奥の院に進みます。これがまたよかったんですよ。