山口県百名山、新春第二弾は徳地の狗留孫山に登ってきました。狗留孫山は石仏を見て回るためのルートが(ざっくり言って)8の字になっているので、よくよく道を理解してから歩き始めないとちょいとした迷路を歩いている気分になります。
また国土地理院地図の狗留孫山山頂が実態とずれているので、たぶん狗留孫山に登った人は鷲か嶽まで歩くようになるんじゃないかな。ま、それでも行って帰って6kmくらいの距離。全体に道は良く陽の入りも良い狗留孫山。
僕のお気に入りの山の一つになりました。
狗留孫山は白石山に近いので僕は引谷方面から入るものとばかり思っていたのですが、その登山口は佐波川近くにありました。具体的には、山口県山口市徳地堀2822番地の法華寺さん。
みんな知ってる徳地のローソンの近くなので、ここでお菓子と飲み物を買ってお腹の調子を整えて出発すると良いですね。
狗留孫山法華寺
さて、法華寺に向かいましょう。みんな知ってる徳地のローソンからまっすぐ佐波川へ進みます。佐波川にかかる橋を渡ったら(大きな左カーブには行かず)わずかに右に寄ってそのまま直進します。狭い路地を進めば法華寺さんに到着。車はお寺の横の駐車場に停めさせてもらうと良いでしょう。
まずは法華寺さんにお参りして今日の無事をお願いし、お寺を拝観させていただきました。
法華寺は天平十一年、光明皇后が僧行基に詔して諸国に創建させた長門国法華寺。元々は豊浦郡にあったが赤間関を経てここ堀村の金徳寺址に移転してきた。大正十五年からは高野山真言宗の総本山、金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)の末寺である。
狗留孫山法華寺の由緒書きを要約
山号額には狗留孫山とあり、その下に法華寺さんの御詠歌がありました。
法乃はな 寺のお庭に 咲きにけり 鳥もきてよむ 法華経の声
ホ~ほけきょうってかw 今の法華寺さんは真言宗なので法華経と言われるとなんだか違和感がありますが、元々、聖武天皇(光明皇后の旦那さん)が仏教による国家鎮護のため、日本各地に建立を命じた国分尼寺(こくぶんにじ)が法華寺なんだそうで、お寺に妙法蓮華経(法華経)を収めたことから、御詠歌としては法華経が出てきてもおかしくないということ。
御詠歌にも歴史が隠されていてなかなか面白い。
次は狗留孫山の御詠歌を見てみましょう。
やえがすみ みねよりかけて くるそん乃 ほとけのちかい たのもしきかな
御詠歌ってのは仏様の教えを入れた和歌でよく2重の意味を持っていたりするのですが、ここは素直に読んでいい気がします。
緑立つ狗留孫山にかかる春霞の美しさよ、衆生をお救いになるという御仏の誓いも期待できるものだ
なんて感じかな。八重霞は春の季語なので僕なりに解釈したらこんな感じになりました。上では美しさとしましたが、耕作には水が重要なので春の霞は吉兆だったのかもしれませんね。
ちなみに、前半に景色を詠んで後半に「ほとけのちかい たのもしきかな」を持ってくる御詠歌は結構あるようなので、「狗留孫=実に妙なる成就」の図式まで入れると深読みになる気がします。
ここはこれで良しにしておきましょう。
この御詠歌ですが後ほど大岩に彫られたものも出てきます。
さて御詠歌の下には迷路図が飾られていましたw いや言い方が悪いか。東狗留孫山三十三ヶ所図ですが、僕はしばらくこの図を眺めていても、どこを描いているのかさっぱり分かりませんでした。まずもって現在地はどこなのよ?と。
狗留孫山を歩き終えた今なら分かるんですが、この図には現在地が書いてありません。道の途中から描いてあるんです。そして道の入りは右上です。右上から十一丁、十二丁と進んでいき、十五丁目に石碑があり、御詠歌岩を越えると、①から㉝まで石仏があるよ。ルートが分かれてるんだよーという図です。
いやいや、そもそも右上から入ってくるなんて狗留孫山を正面に見たときの体感とずれてますから、この図が初見で分かるはずもありません。こいつはちょっと直したほうがいいように思います。
狗留孫山 登山
そんなわけで、てんくら分からないまま狗留孫山の登山口を探し始めたのですが、法華寺さんの右左に舗装路があってどっちに進めば良いかが分かりません。法華寺さんの裏の中国自動車道を越えなきゃいけないことだけは直感で分かっているので、とりあえず右をチョイスしてGO!
法華寺さんの右を進むとすぐに狗留孫山登山道の看板を見つけました。この階段を登って中国自動車道を渡れば狗留孫山登山口。どうやら法華寺右の選択はGood Choiceだったようです。
狗留孫山登山口に設置された地図をもう一度読み込んで、取り合えず「奥の院」を目指すことにしました。奥の院に行くには①の分岐で左に進めば良いようです。ふむふむ。先ずは①の分岐を見つけねばってことだな。
実は登山口から入ってすぐの階段途中にも山道と階段の分岐がありましてね、これはどっちを通ってもすぐにつながるんですけれども、結構迷わせる山っぽいことを感じさせます。
でも山頂には仏様が待っているはず。
ひるまず進みましょう。
狗留孫山登山口から①の分岐まで
①の分岐までは、山腹をめぐりいつの間にか尾根に入るという日当たりの良い道が続きました。もちろん勾配は0ではないですが、まあこの程度の登りならハイキングの範疇。いや今回はオリエンテーリングかw
登り始めてすぐに鳥居が現れました。この扁額にはなんて書いてあるんだろう。またぞろ興味をもって読みました。たぶん狗留孫なんだろうとは思うのですが、一番初めの字に「船」が見えるような気がします。二文字目は「留」ですよね、たぶん。いや無理だわ。ギブアップ。
鳥居を越えると谷が落ちたような場所が開けていて、振り返るともう景色がいいんです。まだ序盤ですが山に入ってきた感あり気分もあがります。
山腹をめぐりいつの間にか尾根に入ると書きましたがこんないい道が続いてまして、たまに道の端に仏様が現れます。そのたびに手を合わせるのですが、この時には仏様が丁石になっていることに気が付かなかったので何丁目かの確認をしていませんでした。
道中、木々の隙間からの景色があります。眼下に佐波川が下っているので方向的に矢筈ヶ岳だろうなと分かります。そして八丁目の文字を発見。この文字でやっと仏様が丁石になっていることに気が付きました。あれ?そういえば例の迷路図にも十一丁目とか書いてあったなーと思い出したのがここです。
山腹からいつの間にやら尾根筋へと緩い緩い坂が続きます。緩いのですが想像していたよりも距離が長く、ゆったりと山を巻いていく感じ。狗留孫山は低山ですぐ登れちゃうと考えていたのでこれには参りましたが、まあ日の入りも良いし散歩と思って歩を進めます。
十五丁目に「狗留孫山霊場に入る」の石碑。この石碑を見つけた瞬間に迷路図の謎が解けました。「あー右上から入ってくるんだな」と。んもー。せめてぐるっとひっくり返して図を描いておいてもらえたら進行方向と肌感が合うんだけどなー。
ここまでの道には岩があまりなかったので、大岩が出てきたなあと近づいてみたら歌が彫ってあります。一部の文字は読めないのですが「八重・・・佛・・・たのもしき・・・」は分かります。となれば法華寺さんで見た東狗留孫山御詠歌に違いありません。
八重がすみ 峰よりかけて くるそん乃 佛乃ちかい たのもしきかな
です。この大岩には御詠歌岩という名前が付いてます。
御詠歌岩を回り込むとすぐに①の分岐が現れました。最初の迷路図を紐解くと右に上がれば①~⑩の石仏になっていたはず。左に進む看板は「山頂へ」となっていますが奥の院はこちら方向です。
奥の院が見たいので僕は山頂方向へ進みますが、その前に①の磨崖仏を見ておきます。ここは8の字を描く石仏ルートの最初の分岐点なので帰りも通りました。ポイントとして押さえておくとよい場所です。
奥の院まで
①の分岐を左にとり奥の院へと歩を進めますが、その途中も見どころがいっぱいですよ。
不許葷酒肉入寺の結界石。これ最初、肉の字がよく読めなくて「香りのいい酒や女は寺に入っちゃダメ」って書いてあるのかなと思ったんです。いわゆる女人禁制かなと。でもよく見ると肉なんですよね。
この不許葷酒肉入門というのはよくある言葉なんだそうで、葷はニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ショウガなどの臭い野菜を指し、ここから先は修行の場なので精の付く野菜とか酒とか肉は持ち込み禁止だぜ!という戒めなんだそうです。
そんなわけで女子も狗留孫山には登れますのでご安心ください。
不許葷酒肉入寺の結界石から先は少し荒れていました。まあ荒れているといっても杉の枝が散乱してる程度なんですけども。で、荒れてるんだけどなぜか階段っぽい石がトントーンと並べられてるんです。
なんだこれ?と思ってると、石垣がドーンと現れます。
なんでこんな山の中に!?え、なんで?なんで?と僕は石垣で度肝を抜かれました。見上げると真っすぐに上ってこられる別の参道があるんじゃないかと思うくらいの立派な奥の院が現れるんです。
でもね、階段に回ってみると屋根が一部崩れ始めてるのが見えて、ああ、なんか栄枯盛衰。ちょっと悲しい。そんな気になりました。
拝殿の手前に瓦が何枚か落ちていたので、軒下に入り込んで斜めから拝殿を撮影させてもらいました。綺麗な伽藍。でもこのままだと廃れちゃうよなあ。こないだ萩の友人宅に遊びに行った時も裏山のお寺さんが麓に仏様をおろしたというお話を聞きました。山腹にあると手入れをする人がなかなか行けませんしねえ。時代の流れなのかもしれませんが、、、
狗留孫山山頂まで
さて、奥の院でのお参りを終えさらに奥へと進みます。例の迷路図によれば⑪から㉖までの磨崖仏がいらっしゃる道になるはず。
ここから上がって供養塔の先の分岐も左へ。下りはここを「悪人戒め岩」に進みますがそれについては後述します。8の字は説明が難しいですね。多分、読まれる方も理解が追い付かないと思います。これはもう体感する以外に手はないよなあ。
⑪番あたりから羊歯(シダ)が出てきますが、膝高なので藪をこぐほどではありません。長ズボンを履いていればOK。これ、そのまま成長するとしたら夏は避けたほうがいいかなあ。どなたかが手入れをされてるかもしれませんけど。
羊歯を登った先に穴観音と山頂の分かれ道が出てきます。下りは穴観音を通りましたのでこれも後述しますが、今は山頂へ。またこの先に東遥拝所がありますがこいつは割愛。東遥拝所からはまあまあの景色です。
で、怒涛の観音様拝観を経て㉖番に到達。
ここは8の字の迷路図としては最後の分岐になります。観音様というと三十三という数字をよく聞きますよね。なんでだろうなーと気になったので、ちょっと調べてみました。
法華経によれば観音菩薩様は世の中のありとあらゆる人を救うために、その身を三十三のお姿に変えて現れるのだそうです。そっか。そのお姿を石に刻んだのが三十三観音様ってわけなんすね。
僕は帰り道で穴観音に進んだために、今回㉗~㉝の観音様にはお目にかかれませんでした。後ほど㉝に進む道も出てきますが、ありがたいお話を知ったからには次回はこちらを通りたいです。
ここではとりあえず、シダをかき分けて山頂へ進みます。
狗留孫山山頂
シダをかきわけやってきました狗留孫山山頂。いえーい。
徳地の狗留孫山は510mの低山ですが、生活と山のつながりを重視する山口県百名山の一座です。山頂の観音様に手を合わせ、景色を眺めてみましょう。
だいぶ左に流れてきたみたいです。徳地のローソンはもうちょい右にあるはず。
年始早々に2つも山口県百名山を制覇したのが嬉しくて顔出ししてみました。狗留孫山って引谷のもっと険しい山だと思ってたもんですから、あまりきつくもなく簡単で嬉しいってのもあります。
しかし・・・
ここでYAMAP(というか国土地理院地図)を見てみると、いま立ってるここは狗留孫山じゃないことになってるんです。どういうこと? 実に妙(たえ)なる成就じゃなくて実に妙(みょう)なる地図だな。これ。
この時点で青線はありません。僕のいるのは赤●の場所。そして国土地理院地図上はもっと左に狗留孫山があることになってるんですよ。地元の方が、狗留孫山の看板を立てているにも関わらずです。ちょっとー。
鷲か嶽へ
いつもお世話になってる地図に文句を言ってもしようがありません。両方制覇すればいっかってわけで看板に目をやります。
ふーん、25分ね。YAMAPの地図を見てもそれほど高低差はなさそうだし、どうせ稜線歩きでしょ。なーんてたかをくくって歩き始めました。
「どうせ稜線歩きでしょ」の判断は、この穴観音との分岐までほぼ正解です。が、鷲か嶽へはそこから30m降りて70m登るようになります。
わりと最後の登りはきついです。おいおい聞いてないよー!って感じ。実際、等高線てのは間隔次第ですよね。このやろYAMAP!もうちょい精度の良い地図載せやがれ!とか思ったりして。
鷲か嶽山頂
というわけで鷲か嶽山頂に着きました。ここも景色が良い。
少しかすんでいますが電波塔の乱立する山は大平山に違いありません。佐波川の下流に見える三段の山は矢筈ヶ岳でしょうか。いやあ景色が開けて気持ちがいいなあ。
ここではお二人の方とすれ違い、僕は30分くらい山頂に留まりました。山頂の岩に座って話すのってなんであんなに楽しいんでしょうね。
最初の方は秋穂のおいちゃん。僕よりも先に登られていた方で10歳上って言われてたかな。冬の間は体が鈍るんで農作業に向けての体力作りだと言われてました。
気さくなおいちゃんで秋穂の山を教えてくださいました。またどこかでお会いできれば幸せます。
穴観音のほうに行ってみるというおいちゃんを見送った直後に登ってこられたのは地元のあんちゃん。この方とも色々とお話をして「要害岳は徳地ローソンの裏山みたいなもんですよ」とのお言葉をいただきました。
どうも僕は白石山の引谷のイメージに引きずられてまして、改めて地図を見直してみると、なるほど徳地ローソンの裏山的な位置だな納得しました。場所も大体わかったし近いうちに要害岳にも行っちゃおう。
あ、そうそう。地元のあんちゃんに国土地理院地図の狗留孫山についてどう思うか聞いてみたところ、やっぱり看板のところが正しいんじゃないかなあと言われてました。
じゃ、鷲か嶽って何って聞いたら「二等三角点の名前じゃないかなあ」って。なのでその場で調べてみました。鷲か嶽の二等三角点、基準点名は堀ノ山(標高543.93m)。なんだか訳わかんないね。
ちなみにヤマレコで狗留孫山を調べると、最初の狗留孫山は狗留孫山(本峰)、ここ鷲か嶽は狗留孫山(鷲ヶ嶽)と記されています。うむ、YAMAPよりも国土地理院地図よりもヤマレコの方が信じられるかも。
情報収集はこのくらいにして下山します。
狗留孫山 下山
鷲か嶽の山頂でだいぶゆっくりできたので、地元のあんちゃんに挨拶して下山に入りました。あ、そういえば狗留孫山って大人気みたいで、登りと山頂で3名、下りで2名の方とすれ違いました。めちゃめちゃ美人のお姉さんもいたよ。
穴観音コース
下山は僕も穴観音に回ってみました。地元のあんちゃんは穴観音に行ったことないって言われてました。最初の迷路図にも書いてないのでマイナールートなのかな。
そのわりに道はいいよ。
鷲か嶽と狗留孫山(本峰)の間に穴観音に向かう分岐があります。ジップロックの中にあった濡れた地図を取り出してこの先を確認。うん? 例の迷路が書いてあるだけでこの分岐は載ってないじゃんw
ま、行ってみるか。
こちら穴観音様。なるほど大岩に穴が開いてる感じね。えっと、ここに至るまでの穴観音コース、めっちゃいいです。稜線歩きのノリでほいほい歩けちゃう感じですね。
この先も気持ちいいのですが、それは山が好きな人だけ。
シダを越えて枯れ木をくぐって進んでいくと、登りの時に書いた東遥拝所手前の穴観音の分岐に出てきます。これを降りていくと奥の院に戻るわけです。登りで通った道なので安心。
奥の院から⑩ー①の分岐へ
さて、奥の院が見えたら右にとれば元の道。分かってます。でも左にも良さそうな道があるんです。
右にとれば安全に戻れることが分かってるのですが、もう歩いた道だしね。つまんないじゃん。てわけで左に向かう道を選んでみました。
奥の院の裏側。奥の院から見たときに上に岩があるなーと思ってたのですが、悪人戒め岩という岩だそうです。これを見るために作られた道なのかなとも思ったのですが、悪人戒め岩の横にはパウチに入った案内図が備えてありました。
相変わらず迷路感はあるのですが、だいぶ分かってきたので案内図と呼んでも差し支えありません。今は地図に大きく書いてある奥の院も、穴観音から帰ってきた自分のポジションも分かっています。現在地は悪人戒め岩で、自分が戻るべきは①の分岐だということも。
⑩で右に折り返せば①の分岐まで戻れる感じだよね。行ってみよー。
⑩の折り返しがぱっと見ビミョーでね。これを右に行かなきゃいけないわけ。これさー、知らない人は直進しちゃうよ。直進の方が間違いなく広くて良い道だし。でもここを直進すると㉝から㉗につながるので、それはつまりもう一度山頂に行くってこと。やばいっすね。
僕はさっき案内図を読んだので間違えません。⑩で折り返しました。もう一度山頂ってのはちょっとね。㉝から㉗はまた来るってことで勘弁してください。
⑩の折りかえすと①の分岐に向かって降りていく道になります。記事のかなり前半で①の分岐を書きましたが、そこに出るまでの別ルートでこの間に10体の観音様がいらっしゃいます。
で、多分9番と書いたこちらの磨崖仏。三面のお顔は馬頭観音様かな。なんか良い感じですね。
マムシ注意の西院の河原を降りて6番の観音様。こちらはちょっと新しいのが気になりますが、岩の上の方に掘ってあってなんだか尊い。
こちらも手の届かないところに居られる3番の観音様。なんだか6番さんよりも歴史を感じさせます。経年か日の入り方かもしれませんけれども尊い。
シダが重なる九十九折りを降りると②が右手にあります。でもどう考えても①は左なので、②をチラ見して左に進むと①の分岐(記事の前半で出てきた最初の分岐)に戻ってきました。
はい、今回も無事に帰ってこれたので大成功。知らない道を地図読んであっちかなこっちかなって歩くのは面白いねー。
狗留孫山今日のコース
徳地のローソンから法華寺へ。法華寺からは右でも左でも中国縦貫道を越えて登山口に行けます。登山口からは緩いのぼりを十五丁目狗留孫山霊場へ。
その先は「山頂へ」の看板に導かれるままに奥の院に向かうのが良いでしょう。地元の方の話によれば小学校の遠足で奥の院までは来ていたとのこと。そのくらいのレベルです。
奥の院から山頂へ。シダをかき分け登った先には狗留孫山の看板がありますが、国土地理院地図に悩まされます。
覚悟を決めて狗留孫山本峰から先へ進めば鷲か嶽に登ることに。鷲か嶽までは上り下りがきつく国土地理院地図に怒りを感じるかも。
鷲か嶽からの下りはできるだけ通ってない道をチョイス。穴観音に進み、奥の院を見つけ、⑩から折り返して①の分岐へ。
今回、㉗~㉝は未到達ですが、⑩の折り返しを見つければそれが狗留孫山山頂へとつながる道と確信できます。
①の分岐からは緩い下り。今日も大満足。登山道に差し込む日を浴びながらお家に帰りましょう。