先週末、図書館で郷土史をめくっていたら山口県百名山の一座、花尾山の名前の由来を見つけてしまいました。
文字に起こしてみます。
美祢市宗済の北にそびえる花尾山は、神功皇后の弟の緒造(おづくり)命が、今の美祢市・秋芳町一体を巡検された際、鬱蒼と茂る密林の中で、花姫という美しい乙女と逢い結ばれた所とて、この二人にちなんで村の人々は「花緒山」と呼ぶようになったが、のち、いつか「花尾山」と書くようになったといい伝えている。
長門周防の伝説(1977.11 松岡敏夫)
松岡敏夫先生は、1951年山口大学人文学部助教授、教授、77年定年退官、名誉教授、山口女子大学教授、1979-89年岩国短期大学学長と、永年に渡り民俗学を修めた防長の歴史に詳しいお方。そして上記の伝説は角川日本地名大辞典にも記載されていない新説です。
※ 角川日本地名大辞典の記載については記事末に示します。
ロマンチックですよねえ。こんな説に巡り合ったのもなにかの縁です。こりゃ花尾山に花姫を探しに行くしかないじゃないですか。民俗学はフィールドワークと検証が大事ですもん。
とそれはさておき、純粋にハイキングとして花尾山を楽しむのであれば、僕は渋木から入るルートをお薦めします。
以下、記録としての別府コースです。
花尾山 別府コース
花尾山は2020年に渋木から入って鈩(たたら)コース・本谷コースと回ったのですが、今回は美祢市・秋芳町がポイントってことで、幻の鳥居復活プロジェクトで整備された弁天池側からのコースを歩いてきました。
別府コース 登山口まで
まずは花尾山別府コースの登山口まで。
県道31号線を美祢から於福に抜ける途中に別府弁天池があります。別府弁天池には曲がらずに県道31号をそのまま進むと、花尾山登山口へと進む看板が出てきます。
これね。
看板から先は舗装の一本道です。少々狭いのが難ですが、臆せずに進むとそのうち河原上養鱒場が現れます。
養鱒場の先は河原上分岐点を左に上がります。
多々良ため池から先は道が険しくなります。ガードレールはなくなり、車の天井や横腹を脇から張り出した枝でキーッて擦ります。あと轍が水で流されて落ちていますのでローダウンの車は下腹を打つかもしれません。
でもジムニーなら楽しいよ。
奥まった場所に広場があります。3台から4台停められる感じの広場です。もう少し先に進めるのかもしれませんが、この先でUターンできるかどうか分からないため、ここに車を停めることにしました。
結果、ここから30mも進めば花尾山別府コースの登山口なのでした。これはいい勘してた。
ちなみにこの広場にはミツマタが群生してました。花尾山っていうとミツマタのイメージがありまして、いったいどこに咲いてるんだろうと思っていたのですが、別府側だったのね。
別府コース
さあ、歩き始めます。ここまで本記事では別府コースと呼んできましたが、ヤマレコの地図を見ると「別所コース」と記載されてるんです。なんでなんすかね。このあたり別府だと思うんだけど。
わからん。気にせず別府コースで通します。
嘉万分岐点まで
車を停めたところからわずかに上ると登山口の地図がありました。
でもPの位置が分かりません。左下に別の道標が登山口って書いてるんですけども、そもそもここ登山口じゃありません。とりあえず頂上(1.2km)が左になってるので左に進んでみます。
この看板もいまいちよく分からないんです。右に上がるように描いてありますが、足元の枝が邪魔すぎ。実際の道はこのもう少し奥なんです。
うーん、どうも別府ルートの看板は分らんなあ。描いてある道と肌感と現在地がリンクしないんですよ。
肌感で言うと、左は砂防ダムで終わりそうな広い道、右は山に入っていく広い道ですもん。もういいや。がんばりコースに行こう!と右の広い道に進みましたが、、、
これ間違いなんです!
帰りに通るまで気が付きませんでしたが、がんばりコースは林の中に入っていくロープが張ってある道なんです。右も左も真ん中も最終的には全部つながる(あ、左は歩いてないので知らんけど。ゆるやかコースに違いないので多分つながるっしょ)んですけど、初見じゃ見逃します。
もうちょっと分かりやすく道を描いてくれないかなあ。
で、僕が選んだ右コースはこんな感じのつづら折りです。軽トラなら上がっていけそうな”ブルが削ったばかり”の林道。
右コースを上がっている途中に花尾山の山頂が見えました。登山口から1.2kmしかないのですぐ近くに見えます。
ブル道はあまり面白くないのですが、そこに訳の分からん道案内が追い打ちをかけてきます。
わからん道標4を通り越してから振り返ると、後ろに頑張りコースらしき道がありました。自分が今いる場所が●だとしても、カーブを突き抜けて進んでる頑張りコースはありません。
んー。。。道標の意味。。。
林道が縦横無尽に走ってるから全部説明してあげようという親切心なのだと思いますが、案内を見つけるたびにどれがどの道なのか当たりをつけなきゃいけないようじゃ道標の意味がありません。
道標ってシンプルに「山頂⇒」みたいなのが一番だと思いますよ。
※ 下りはすべて頑張りコースを通ったのですが、ある程度分かってから頑張りコースを歩けば結構楽しい道ではあります。ウェルカム感はありませんけれども。
ようやく嘉万分岐点まで来ました。ここは出かける前にヤマレコの地図でも押さえたのでなんとなく知ってる気がします。それにしてもまだ400mしか歩いてないのかー。なんだか精神的に疲れちゃったよ。
おお。山頂を見上げるとここからでも噂の鳥居が見える。これだけはちょっと気分を上げます。
山頂まで
嘉万分岐点を越えると林道も雰囲気が出てきます。やっぱりね、ブルが削ったばかりの林道なんて風情がないのよ。だいたいさー、林がないと花姫もかくれんぼできないじゃない。
おう!そうだ!思い出した。花姫。花姫はどこー。
いやー嘉万分岐点から先は気持ちよかったー。やっぱ山歩きはこうでなくちゃね。花姫にはまだお会いできていないのですが、そうこうしているうちに渋木の鈩(たたら)コースとの分岐点に到着しました。
と挨拶をして、山頂へと向かいます。誰もいませんが。
これだよね。これを見るために歩いてる気がするもん。
花尾山 山頂
ところで、花尾山に花姫様は居られませんでした。まいっか。今回は幻の鳥居復活プロジェクトで整備されたという鳥居も見たかったんだもんねー。
んで、その鳥居というのがこちらです。
綺麗な鳥居ですねえ。
※この鳥居ですが2023年夏、落雷で横の柱が裂けたそうです。Yahooの記事を追記しておきます。
落雷が原因か?絶景スポット・花尾山山頂の「天空の鳥居」に亀裂…山口県美祢市
2023年8月31日 Yahoo!ニュース
山口県美祢市の花尾山(はなおさん)山頂にある「天空の鳥居」に、亀裂が入っているのが見つかりました。
標高669mの花尾山山頂にあり、絶景スポットとしても有名になっている吉野神社の鳥居は、100年以上前に朽ち果ててしまったものを、地元の人たちが去年、復活させたものです。
25日に登山をした人から「鳥居が裂けている」と連絡があり、「幻の鳥居復活プロジェクト」の実行委員会メンバーが調査したところ、正面から見て左側の柱の上部から地面に至るまで、縦に大きく亀裂が入り、割れているのが確認されました。実行委員会では、落雷が原因ではないかとみています。
鳥居の柱は今後、応急処置をしたのち、割れた方を新しく取り換える予定とのことですが、実行委員会は「登山される方は倒壊に十分注意してほしい」と呼び掛けています。
各お社にお参りした後、2年ぶりに同じポーズで自撮りしてみました。
2つのお社を行き来してましたら、キョッて鳴き声がしまして本谷コースを見やると3匹の鹿が逃げていくところでした。この写真では一匹だけ草むらからこっちを見てるんですけど分かりますかね。わかんないか。
花尾山は僕が行くたびに鹿が出迎えてくれるんですよ。もしかしてこいつが、伝説の花姫なのかもしれません。いや、もう、そういうことにしておきましょう。花姫は鹿になったと。
というわけで、花姫伝説は一応クローズしました。山頂の様子をビデオに収めておきましたのでご覧ください。
花尾山 下山
下山は歩いたことのない道をということで、極力がんばりコースを下ってみました。嘉万分岐点からは四等三角点を探しに行きました。
下山は足取り軽くとんとーんと。下山中、こんな分岐あったっけーと思われる所が二か所ありました。
1つ目はここ。場所的には、最後の分かりやすいコース分岐のところなのかな。そうだ、左に降りればがんばりコースのはずだ。
下り側は看板がないの。なんつーかこういうところなんだよね。
頑張りコースってこんな感じ。めっちゃいい感じじゃないですか。これだったら最初からがんばりコースだけ推してくれれば良いのに。変な案内とか要らないし、がんばり一本で上り下りに矢印の道標付けてくれると歩きやすいけどなあ。
さて、嘉万分岐点まで戻ってきました。家でヤマレコの地図を探っていた時に嘉万分岐点から左に入っていくと三角点があることを見つけてたんです。
別府コースは往復2.4㎞程度。足は残ってるしちょっと三角点を見に行っちゃおーと行ってみることにしました。
ありました三角点。標高456.63mのこの三角点は四等。冠字選点番号はK参4。四等三角点の冠字選点番号とか覚えきれないし興味ないけどね。で、基準点名は多々良です。この名前はいいじゃない。最初に見たため池の名前が多々良だったよ。渋木から上がってくるコース名も金偏に戸でタタラだし。なんかミステリアスで良い。
嘉万分岐点から三角点に到達するとその先にもいけそうな道があったのですが、その先は”まったく”調べていなかったのでもと来た道を戻ることにしました。
戻る途中、左に行けそうな道が明かりを伴って誘ってきました。おおう。山を回り込めそうな気がする…これは花姫の誘惑かはたまた山姥の誘惑か。
行かないっす。
元の道まで戻ってメイン道をほいほい降りてると、また見知らぬロープが出てきました。看板はありません。この明らかに頑張りっぽいロープはなに? うーん、これまで歩いてきた道と方向的にも全然間違ってる気がするんだけど、でもまあロープもあるし行ってみるか。
急な坂をロープを頼りに降りてみると舗装っぽい道が見えてきました。いやあれは駐車場につながる道だ。
ってことは? ええ? どこかにっていうか最初にこんな分岐あったけ?
降りてみたら一番最初の分岐の近くじゃないですか。
「うーん、どうもここの看板は分らんなあ」と書いた一番最初の分岐がここ。最初の案内の”がんばりコース”とはこのロープを伝って登っていくコースだったのです。
ここで最初の分岐の看板を再掲。肌感だとここ二股だからね。これで奥にあるロープ選ぶやつおらんから。マジで。いや2回目なら間違えないけどね。
看板の前に立ってみて、ゆるやかコースをあらためて眺めてみるとこんな感じです。いやー確かに進める。ダンプでも進める。この道は砂防ダムの工事のための道って思うじゃん。そこそこ里山歩いてたら、ダムをまたいでそのあとに右に行けるなんて想像つかんもん。だから、ダムを巻いてつながる道ならダムも描いて欲しいの。
ていうか、[←ゆるやかコース]の看板をゆるやかコースのちょい先に立てるだけで良いんだけどね。
花尾山 別府ルート
花尾山別府ルートの看板にはほとほと弱りましたが、振り返ってみると全部「がんばりルート」を選択すれば面白い道だったのかもしれません。往復2.4㎞だし。
それじゃ入り方から山頂まで今日のルートを示しておきます。
花尾山別府ルートは登山口までがハードなので、車の傷とか気になる人は別府弁天池の駐車場に停めて歩くと良いかもしれません。山頂まで往復で7㎞かそこらになると思います。
花尾山別府ルートを歩くなら極力「がんばりルート」を選択すると林間を歩けるので楽しいと思います。楽をするなら林道ルートで、どちらも道標をよくよく読めば山頂には届きます。
上記ログで右に長く伸びてる線は無視してください。あれは嘉万分岐から四等三角点を見に行った遊びで本コースとは関係ありません。遊ばなければ花尾山別府ルートは登山口から往復2.4㎞のハイキングコースになります。
花尾山の山頂はめっちゃ綺麗ですし、鹿も見られるので楽しめる山には違いありません。が、今回選択した別府コースについては、登山道としては成熟してない気がします。あくまで個人の感想ですが、ちょいと遊びに行くなら長門市の渋木から入って鈩コースや本谷コースのほうが良いかな。
鈩(たたら)コースについては記事の前半でご紹介していますのでお確かめください。
追記:花尾山についての解説
地名といえば角川日本地名大辞典ですが、花尾山の名前の由来までは書いてありませんでした。
花尾山
角川日本地名大辞典 花尾山
権現山ともいう。美祢(みね)市・長門(ながと)市・美祢郡秋芳(しゆうほう)町の境界に位置する山。標高669.1m。「地下上申」には「権現山」とあり,「注進案」は「権現山」「花尾山」を併用し,山頂に「華尾山吉野権現」があると記す。頂上には祠があり,「文応元年申之四月渋木村大宮司」と刻んだ石碑もあって,山頂一帯は現在も渋木八幡宮(長門市)の社有地となっており,旧登山口であったふもとの荒槙には頂上から分祀をしたと伝える権現社もある(長門市史)。山名もこの権現に由来し,信仰の山として有名であったことを物語る。なお,この山を,「文徳実録」の「加磨能峰」に比定する説もある(注進案)。長門山地に属す中起伏山地で,日本海側・瀬戸内海側を分ける分水界をなす脊梁山地でもあり,中生代の関門層群に属す砂岩や頁岩などからなる。やや緩斜面を残す山頂は形もすぐれ,眺望も良好で登山者が多い。秋芳町の河原上から池のほとりを通って登るコースと,渋木の市ノ尾からの沢沿いの道がよく利用される。なお,この山の渓流に生ずるノリは嘉万村(秋芳町)の名産華尾苔として有名であったという(注進案)。
地名大辞典にもない、それより以前の伝承を取り上げるとは、さすが地元に根差した民俗学者の松岡敏夫先生です。松岡先生の文献はもう少し追ってみたいな。