石見銀山みてあるき

石見銀山みてあるき

前日、島根県大田市の三瓶山を歩いたのですが、大田市まで来ることはなかなかないので一泊して世界遺産の石見銀山にも行ってきました。

観光としてお決まりの石見銀山コース(石見銀山公園から龍源寺間歩)を歩いても良いのですが、(1)せっかくなら端から端まで歩こう(2)ついでに石見銀山と三瓶山の関係も知りたいと、僕なりの視点で世界遺産を歩いてみました。意外なところで長州軍と大田市の大森地区の関係も知れたり得るものの大きい散歩でしたよ。

そんなわけで今回は「石見銀山みてあるき」のお話です。

前日、居酒屋にて

三瓶山を登り終えたのが15時30分頃で中国自動車道を飛ばせば家に帰ることもできたのですが、前述の通りどうせなら石見銀山を見てやろうと大田市に一泊することにしました。

居酒屋安兵衛にて
居酒屋安兵衛にて

うまい具合に宿も取れ、シャワーを浴びて、缶ビールで喉を潤し、さてと町にくり出すもののまだ陽が高かすぎるんです。どこもやってないなあと町を巡っていると路地裏に暖簾のかかった居酒屋安兵衛さんを発見。

これやってんのかなあと恐る恐る引き戸を開ければ「いらっしゃい!」の声。さすがに時間が早すぎてお客は僕だけですが、まずは生ビールを注文して腰を落ち着けます。

おすすめの黒板に書かれた「お造り時価」の内訳を聞いてる間に生ビールはなくなり、焼酎ロックに切り替えて、イカ刺しのお造りを待つ間に大将に話しかけてみました。

立:今日、三瓶山を歩いたんだけど、せっかく大田市に来たなら明日は世界遺産の石見銀山を見て帰ろうと思ってね。

何気に地元アゲしたらもう大将の石見銀山愛が止まらない。店の奥からパンフレットが3種類出てくるわ、お薦めの場所を示してくれるわ、駐車場と駐車台数は教えてくれるわ、そして何を質問しても答えてくれる。うむ。これが郷土愛ってやつよね。

石見銀山世界遺産センター

大:石見銀山は一日二日で分かるもんじゃないから。まずは石見銀山世界遺産センターで全体をつかめ。石見銀山世界遺産センターは8時30分から開いてるから。
そんな大将の言葉を胸に、やってきました石見銀山世界遺産センター。

石見銀山世界遺産センター
石見銀山世界遺産センター

8時15分にはセンター前の駐車場に着いてたもんね。熱心にお話しをされると約束した気になって裏切れないなーって思っちゃうんです。ま、車が混まないうちに駐車場A(駐車場Aは後述)に行きたかったので早めに動いたってのもあるんですけど(笑)

大久保間歩ツアーがおススメ
大久保間歩ツアーがおススメ

石見銀山世界遺産センターの開場を待っていましたら、外で開館準備をしていらしたスタッフさんから話しかけられまして「大久保間歩のツアーはいかがですか?」と。あ、間歩ってのは採鉱のための洞窟のことです。坑道ってやつ。

件の大久保間歩は頭を下げなくても歩ける大きな坑道で、ブラタモリや世界紀行でも紹介されたという有名な間歩だと。大久保間歩ツアーは本来予約制らしいのですが今日は当日チケットがあるよとのこと。

うーむ、大久保間歩のスペシャル感も気にはなるのですが、帰りの時間もあるし自由に歩きたいので残念ですがお断りしました。

おっとそろそろ開場時間だ。

石見銀山みてあるきの図
石見銀山みてあるきの図

石見銀山世界遺産センター内の無料スペースを見て回っていましたら、今度は別のスタッフさんから「よろしければ説明しましょうか」お声がけをいただきました。居酒屋といいセンターといい大田市には積極的に石見銀山を説明する人が多いんだなあ。しかもみんな学芸員かと思うような知識量。

こちらのスタッフさんからはランプの点く2m四方の立体地図を使って石見銀山の歴史と世界遺産に登録されるまでの道のりをご説明いただきました。

この説明でびっくりしたのは、後から歩く大森街並みエリアや銀鉱山エリアだけではなく、銀を運び物資を持ち込んだ街道・山城エリアや、世界に向けて輸出を行った港と港町エリアまで、大田市のかなりの範囲を世界遺産地区として登録されていることです。

世界遺産地区として登録されると新しい建物は建てられないんです。

立:あの、この新しいセンターはずいぶん山の中にありますが…
ス:はい。登録地区から外さないといけないので…

世界遺産による観光と町の発展は両立が難しい問題のようです。

石見の火山が伝える悠久の歴史
石見の火山が伝える悠久の歴史

居酒屋の大将のおすすめで世界遺産センターにやって来ましたが、実は僕、石見銀山の歴史云々よりも(1)世界遺産を端から端まで歩いてみたかったのと(2)火山と銀山の関係が知りたかったんですね。

(1)は前述のように範囲が広すぎることが分かったので、大森街並みエリアと銀鉱山エリアに絞って歩くことにします。大森街並みエリアと銀鉱山エリアは観光で来られる方が多い場所で、坑道は龍源寺間歩が楽しめます。両エリアの往復は6㎞程度。普通は自転車で移動するようなのですが午前中にちょいと歩くにはいい距離です。

次いで(2)ですが、これは例えばサンゴ礁から作られた石灰岩が隆起した秋吉台の近辺には銅鉱床が多く見られまして、なにがしかの地殻変動が鉱床を作ると推測できるわけですが、じゃあ石見銀山ができたのは火山そう我らの三瓶山が影響しているんじゃないかと。
そういう表記を見に世界遺産センターにやってきたわけですが、残念ながら石見銀山世界遺産センターでは(2)に関する明確な表記は見つけられませんでした。
これは後ほど龍源寺間歩の出口で答えを見つけることになります。

よし。世界遺産センターは満足です。大森街並み・銀鉱山エリアのそぞろ歩きへとまいりましょう。

大森町並みエリア

大森町並みエリアは城上神社から(龍源寺間歩まで上がっていく間の)石見銀山公園までのエリアを指します。このエリアには細い道の左右に古い建屋が並んでいます。古いといっても大森地区は寛政12年に大火に襲われそのほとんどが焼失したとのことなので1800年以降の建屋がほとんどです。
大森町並みエリアは代官所ゾーンと武家・町家ゾーンの2つに分かれています。

代官所ゾーン

大森町並みエリアの駐車場Aから観世音寺までが代官所ゾーンになります。あ、駐車場Aというのは大森代官所跡の真ん前にある駐車場で、どのパンフレットの地図を見てもAと書かれているので便宜的に駐車場Aと呼ぶことします。車は15台くらい停められます。無料です。

駐車場Aからスタート
まだ桜の残る駐車場Aからスタート

駐車場Aから最終目的地の龍源寺間歩までは約3㎞。観光だとレンタサイクル(電動自転車2時間700円)される方が多いようですが、僕の目的は「世界遺産を端から端まで歩いてみたい」なので歩きます。

勝源寺(東照宮)
勝源寺(東照宮)

駐車場Aの近くには、飢饉時に芋の生育を奨励したことで有名な芋代官(井戸平左衛門)のお屋敷があるのですが、それよりも僕個人の興味は東照宮。石見銀山は江戸時代に幕府の直轄地だったことから勝源寺に東照宮があるんですよ。色彩豊かな東照宮、見てみたい。

勝源寺楼門
勝源寺楼門

石見銀山の東照宮は1703年の再建で大森町でも最古級の木造建築。彫刻は極彩色で蟇股には徳川家の紋所である三つ葉葵が彫り込まれるなど徳川幕府の祖家康をまつる東照宮建築の特徴を備えているそうです。

東照宮は庫裏の奥から山を登っていくとあるとのことですが、残念ながら見に行くには予約が必要。残念。勝源寺楼門をくぐってメイン通りに戻ります。
あ、この写真の楼門も市の文化財指定にはなっています。

代官所ゾーンの街並み
代官所ゾーンの街並み
観世観音寺
観世観音寺

武家・町家ゾーン

代官所ゾーンをさくっと歩いて次は武家・町家ゾーン。観世音寺から駐車場Bまでが武家・町家ゾーンになります。駐車場Bは石見銀山公園駐車場で、ここには車が50台くらい停められます。石見銀山公園には観光案内所やトイレもあります。

景観を壊さない自動販売機
景観を壊さない自動販売機
五百羅漢の曲がり角
五百羅漢の曲がり角

武家・町家ゾーンにも観光スポットはありますが朝早かったのであまり開いておらずまたもやサクっと歩いちゃいました。町家には窓を開けてお雛様を展示しておられるところもありましたよ。

観光車両はここまで
観光車両はここまで

そして観光車両はここまでの看板。これを左に曲がれば駐車場B。まっすぐ進めばこの先が銀鉱山エリアになります。

銀鉱山エリア

「石見銀山に行ったら駐車場からさんざん歩かされた」という話をよく聞きますがそれがこの銀鉱山エリア。通常の観光であれば駐車場Bにバスでやってきて龍源寺間歩まで2.3㎞を歩いたりするようになります。石見銀山ではパーク&ライド方式をとっているので銀鉱山エリアに入れる車両は自転車かベロタクシーのみで、そうじゃなければ歩くしかないんです。

石見銀山が世界遺産に登録された理由の一つに「山を切り崩さずに採掘しており、精錬に必要な薪を採った後に植林すら行っている」という環境に配慮した鉱山運営がありまして、観光のパーク&ライド方式もこうした環境に配慮したものになっているわけです。

銀山ゾーン

駐車場Bから龍源寺間歩までは2.3㎞。京大の調査によれば「1日あたり8,000歩以上を週に1日か2日歩くことで10年後の心疾患による死亡リスクが8%低下する」そうで、8,000歩というと約5㎞ですから龍源寺間歩の往復なんてちょうどいいじゃないですか。
健康ウォーキングとまいりましょう。

毛利ゆかりの豊榮神社
毛利ゆかりの豊榮神社

銀山ゾーンにもいくつか見どころがありますが、僕が気に入ったのはこちらの豊榮神社さん。なんたって毛利ゆかりってのがいい。

1500年代、毛利元就は石見銀山拝領の記念に自身の木造を造って山吹城に安置した。孫の輝元がこれを長安寺(現豊榮神社)に移設。
関ヶ原の没後に石見銀山を徳川が支配する中で長安寺が荒廃したため1691年毛利家は木造を萩に引き上げるが、大森の住民から木像在地の希望があったため新たな木造を作らせ安置することとした。
時代は下り1866年、長州軍が大森に入ると藩祖の木像がいまだ祀られていることを知る。長州軍は大いに感じ浄財を募って境内を整備した。

豊榮神社の拝殿には今も毛利の御紋一に丸三つがあり、灯篭には第三大隊等の名前もあります。毛利の興亡、大森の方の想い、長州との関わり、これだけでドラマが一本書けちゃう感じ。山口県から石見銀山に遊びに行かれる方は豊榮神社への立ち寄りをお忘れなくですよ。

トイレ休憩しましょう
トイレ休憩しましょう

ここから先は少し山に入りますが全然自転車で登れちゃう感じです。駐車場Bから龍源寺間歩までトイレはここしかないので、歩かれる方はここで済ませておきましょう。

山吹城跡入口
山吹城跡入口

大内、尼子、毛利が覇権をめぐって争った石見銀山。その防衛の要が山吹城です。来い来いと呼んでるかのような登山口ですが、前日の三瓶山で満足していたため今回はスルーしました。
石見銀山観光だけならこれを登るのはありですね。この辺り要所要所に山城があるようで城好きにはたまらないスポットだと思います。

自転車はここまで
自転車はここまで

自転車はここまで。これを左に入っていくと龍源寺間歩の出口や佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があります。佐毘売山って三瓶山でも聞いた名前ですが、由緒書きを見た限り石見銀山の佐毘売山神社は鉱山の神様を祀っており三瓶山との関わりはないようです。

龍源寺間歩入口へは直進。すぐです。

発掘調査中の間歩
発掘調査中の間歩

まだまだ知られていない間歩がたくさんあるのでしょう。この発掘調査中の間歩を右に見て進んでいるとやがて龍源寺間歩に到着しました。

龍源寺間歩に到着
龍源寺間歩に到着

龍源寺間歩

石見銀山には大小合わせて600を超える間歩があるとされていますが、龍源寺間歩は大久保間歩に次ぐ大坑道だそうです。横幅2尺高さ4尺を1日5交代で10日で10尺掘ったとのことで、本来の長さは全長600mですが観光用に157mが公開されています。

龍源寺間歩入口
龍源寺間歩入口

さっそく行ってみましょう。

天井のノミの跡
天井のノミの跡
ひおい坑
ひおい坑

ひおい坑は鉱脈を追って掘り進んだ小さな坑道のこと。

竪坑(たてこう)
竪坑(たてこう)

竪坑は垂直に掘られた坑道で龍源寺間歩にたまった水を約100m下の永久坑道に逃がしたとされます。

入口から約160m地点
入口から約160m地点

龍源寺間歩入口から約160m地点。首を折りながらやや中腰で進んできましたが、この先は通れなくなっているとのこと(奥を見ることはできます)なので、左に曲がって出口へと向かいます。

石見銀山絵巻の掲示
石見銀山絵巻の掲示

観光用のトンネルには石見銀山絵巻が掲示されていました。

龍源寺間歩出口
龍源寺間歩出口

入坑が10時台だったので誰一人出会うことなく龍源寺間歩を歩けました。なかなか面白かったけど、どこまで行っても一人きりってのはちょっと怖かった(笑)

火山と銀山の関係

龍源寺間歩の出口で「(2)火山と銀山の関係が知りたい」の答えを見つけました。

石見銀山の鉱床断面図
石見銀山の鉱床断面図

石見銀山の鉱床断面図には『鉱床は仙の山の山頂を境に東と西に2つの鉱床が存在する。東側の鉱床は鉱染鉱床の福石鉱床西側は浅熱水性鉱脈型鉱床の永久鉱床である。』と書かれていました。ちなみに今回歩いた龍源寺間歩は西側にあり永久鉱床のだいぶ上のほうです。

さて、火山と銀山の関係を押さえるなら、鉱染鉱床と浅熱水性鉱脈型鉱床という言葉を調べれば良いようです。

鉱染鉱床
岩石中のこまかい割れ目や空隙,あるいは鉱物の粒間を満たして有用な鉱物が生成している鉱床。マグマが地下の比較的浅いところまで上昇して固結する時に細かな割れ目を生じ,これに沿って鉱化流体が流動して有用な鉱物を沈殿するもの(例えば斑岩銅鉱床)や,石灰岩などのように溶解しやすい岩石と鉱化流体が反応して新しく生ずる岩石中に,有用な鉱物が反応の産物として散点して含まれるもの(例えば接触交代鉱床),また砂岩,レキ岩,凝灰岩などのように比較的多孔質の堆積岩に鉱化流体が染みこんで有用な鉱物を沈殿させるもの(例えばコッパー・ベルト型銅鉱床)など,さまざまな成因の鉱床がこの形をとる。

世界大百科事典

鉱化流体が岩石の細かなヒビや多孔質の堆積岩に染み込んだものが鉱染鉱床ってことね。このあたりに上がってきたマグマがたまたま銀が濃かったってことか。

浅熱水性鉱脈型鉱床
火成鉱床の一種で、熱水とよばれる地下の高温の水溶液により形成される鉱床。熱水性鉱床ともいう。通常のマグマは、多い場合には数(重量)%程度の揮発性成分(水や炭酸ガス、ハロゲンガスなど)を溶解しているが、マグマが冷却し固結してできる火成岩は、あまり揮発性成分を含むことができない。このためマグマの冷却・固結に伴って大量の揮発性物質が熱とともに放出される。それらは水を主とする流体(熱水)となり、種々の金属、非金属元素を溶解し、地表に向かって移動、冷却するにしたがって有用鉱物を沈殿させて熱水鉱床を形成する。熱水を構成している水素と酸素の同位体についての研究が進み、熱水はかならずしもマグマから放出されたものばかりではなく、地下深く入り込んだ地表水や、堆積(たいせき)物から絞り出された水などが、マグマ活動により暖められたものもあることがわかってきた。このような熱水も、マグマから放出される熱水とともに、熱水鉱床の形成に重要な役割を果たしていると考えられる。

日本大百科全書(ニッポニカ)

マグマの熱で暖められた水が岩の割れ目にそって吹き上げる中で揮発成分が失われた後に冷却された金属が残るのが浅熱水性鉱脈型鉱床。鉱染鉱床が濃縮されるイメージかな。実際、鉱脈型鉱床の方が品質が良いそうです。

うん。やっぱり火山である三瓶山と石見銀山は関係があったわけだ。
これでスッキリやー。

追記:マップ他

「やたら歩かされた」との評判を聞く世界遺産の石見銀山ですが、最初から歩くつもりでいけば見どころ満載です。

石見銀山みてあるき
石見銀山みてあるき

中世から近世にかけての石見銀山の覇権をかけた武将の争いを押さえていけば、また違った見方ができて楽しいんじゃないかな。次に行くときがあれば僕は城巡りがいいなと思ってます。

山城マップ
山城マップ

歴史も城も火山にも興味がない方には石見銀山を題材とした小説、第168回直木賞受賞作、しろがねの葉(千早茜)をお薦めしておきます。

戦国末期、シルバーラッシュに沸く石見銀山。天才山師・喜兵衛に拾われた少女ウメは、銀山の知識と秘められた鉱脈のありかを授けられ、女だてらに坑道で働き出す。しかし徳川の支配強化により喜兵衛は意気阻喪し、庇護者を失ったウメは、欲望と死の影渦巻く世界に一人投げ出された―

「しろがねの葉」の帯より

しろがねの葉とは金山草(和名ヘビノネゴザ)のこと。ヘビノネゴザは一般的な植物が枯死するような高濃度の重金属汚染が見られる土壌の上でも耐えて生きるシダ植物で、かつて山師たちが銀のありかを探る指標にしたと言われています。

直木賞受賞作「しろがねの葉」を読んで石見銀山に向かえばきっと思い出深い旅になると思いますよ。

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