今年の六月はまるっきりの空梅雨でしたが、天気予報の降る降る詐欺に騙されてどうにも遠出ができずじまい。
それで近場の散策ばかりしていたわけですが、朝田神社さんの旧跡の一つ「熊野神社(勝井権現)旧跡」を巡った際に維新公園に車を停めまして「そういえば朝田墳墓群に行ったことないなー」と思ったのでした。
今回は朝田墳墓群とそこにある三角点もどきのお話です。
朝田墳墓群の入り方
地元じゃ通称”朝田古墳”な気がしますが、記事内では正式名称の朝田墳墓群で統一しておきます。
朝田墳墓群は維新公園の弓道場の裏山にあります。この裏山の下は9号線の朝田トンネル。県庁から小郡に抜ける途中のあのトンネルです。
さて、朝田墳墓群の入り方ですが、まずは維新公園の弓道場を目指します。
維新公園の弓道場近くには芝生の広場がありまして市民の憩いの広場になっています。広々とした駐車場にトイレも完備ですから朝田墳墓群へはeasy to go。
弓道場の裏に回り散歩道を1分も歩くと、朝田墳墓群へと続く階段が現れます。この階段を30mも登ればあっという間に朝田墳墓群に到着です。
史跡境界の天辺に刻まれた矢印は、史跡への道しるべなんです。山の中で古ぼけた史跡境界をみつけることが多いのですが、写真にあるようにこれだけ整備された階段をわずか30m登る間に史跡境界が設置されているのに笑ってしまいました。
ここで方向を間違えるやつおらんやろw
2022/07/11 修正
史跡境界の天辺に刻まれた矢印は、言葉そのまま史跡境界の方向を示すものでした。長年、勘違いをしておりました。ここに修正します。
ちなみに朝田墳墓群は国指定の史跡です。史跡境界には昔なつかしい「文部省」の文字が燦然と刻まれていました。文部省は、平成13年(2001年)の中央省庁再編で科学技術庁と統合されて文部科学省になっていますから今だと「文部科学省」と刻まれるんじゃないでしょうか。
なんて、変なところにばっかりに目がいっちゃうw
昭和57年4月30日 国指定
平成4年3月 公園整備完成
朝田墳墓群
朝田墳墓群に到着。最初に目に入るのは右手にある大きな横穴墓(おうけつぼ)です。これをのぞき込むために右から回っていくことにしました。
下から見て方形周溝墳ってなんだろうと思ったのですが、上から見てわかりました。方形の墓の周囲を溝(みぞ)で区画した形のお墓ですね。
その方形周溝墓の意味が分かったのは、隣の円形周溝墓を見つけたからです。どちらも分かりやすい名前付けでよかった。
そうそう。そういえば「隣の円形周溝墓」って書くくらい墳墓が隣接してるんですよ。方形と円形の時代差は分かりませんが、ここは時代を超えた墓地なんですかね。
それぞれの墳墓を眺めながら墓群の頂上までやってきました。あれ?なんか山奥へと続く道にピンテがぶら下げてありますね。これもしかして維新公園から見える金山に続く道なのかなあ。秋口にでも探ってみよう。
朝田墳墓群頂上から眺めると、なんとあっけらかーんとした景色。ま、公園化してるからなんですけど、でも説明板を読むと「これ全部お墓なんだよなー」と怖くなります。
なんだか芝生の上も歩いちゃいけない気がして、舗装路上を歩くことにしました。
「公園の中にある墓は、発掘調査の結果をもとに復元したもので、本物の墓は、地下に保存してあります。」だそうです。これ見ると多少がっかりだけど、余計に芝生の上は歩けなくなっちゃう感じだな。
朝田墳墓群にある三角点みたいなのって何?
記事のタイトルにもなってるところなんですが、お墓を一通り見て歩き(ちょっと怖くなったので)朝田墳墓群にお別れを告げようとしたときに、なんだか見覚えのある形を発見してしまったのです。
標石のサイズは小さいながらも、盤石があって四隅には立派な保護石も置かれて。一等三角点並みの待遇にも関わらずトップに据えられた金属は4等並のしょぼさ。
これはなんですかね?
家に戻って確認しましたが、朝田墳墓群には基本基準点も公共基準もないんです。
公園を整備した時のローカルな基準点にしちゃ古いし、史跡名勝天然記念物標識ってやつですか?
どなたかお詳しい方、教えていただけると幸いです。
そんな感じで疑問と畏怖を抱えつつ墳墓群に別れを告げ、下界へと戻りました。
今回はあっけらかーんとした青空の下、国指定の史跡、朝田墳墓群を歩いてきました。いくら公園化されたとはいえ、そしてはるか太古のものとはいえ、やはりお墓はお墓。若干重苦しい雰囲気を感じました。
弓道場前の芝生広場まで戻ってくると、なんだか生き返った気がします。
ん-。やっぱ歩くなら史跡よりも山っすね。