萩市、幕末志士カードラリー2023 ~長州ファイブ編~

萩市、幕末志士カードラリー2023 ~長州ファイブ編~

幕末志士のカードラリーをやってると聞き萩市に行ってきました。夏山は暑いしさ、平たんな萩市をすいすい行っちゃおうってわけ。

長州ファイブとは

まずは今回のカードラリーのタイトルに入ってる長州ファイブってなに?って話ですよね。
明治維新前の話になります。

ペリー率いる黒船の来航で開国か攘夷かを迫られる日本。攘夷に傾く長州藩は1863年下関海峡を通過する外国船を次々に砲撃。しかし長州藩はそのたった2日後に5人の藩士を密かに英国に派遣したのであった。

強力な軍事力を有する諸外国に対抗するためには最新の知識と技術を学ばなければならない。選ばれた若者は全員20代。この珍道中。いったいどーなってしまうのか!

ロンドンでの長州ファイブ
ロンドンでの長州ファイブ

それが帰国してからみーんな偉くなるんですねえ。

中央 井上勝  鉄道庁長官
左前 井上馨  造幣局建設、初代外相
左後 遠藤謹助 造幣局長
右前 山尾庸三 工部卿、東大工学部創設
右後 伊藤博文 初代工部卿、初代首相

僕が事前に知ってた名前は高杉晋作とよく絡んでた伊藤博文と井上馨、あとは鉄道の父と呼ばれた井上勝がちょろっとくらいです。勉強がてら行ってみっか。

①東萩駅/井上勝

東萩駅
東萩駅

今回のカードラリーはカードの配布場所が決まってまして東萩駅、伊藤博文別邸、萩城、萩博物館、萩明倫学舎の五カ所です。

5枚のカードを集めると最後に萩観光案内所でスペシャルカードをもらえることになっていますが、萩観光案内所は萩明倫学舎の傍にあるので回るルートをよく考えなければいけません。

で、最初にやってきたのが東萩駅。なぜなら東萩駅にはレンタサイクルがあるからです。だってさー全部回ると13㎞くらいになるんだもん。暑すぎて歩ける気がしないんすよ。

東萩駅観光案内所
東萩駅観光案内所

東萩駅観光案内所でまずはカードホルダーをゲット。井上勝さんのカードもいただいてから案内所のお姉さんに伺いました。

立:東萩駅近くに駐車場ないですかね。
案:ないですね。

だよね。そうだろうとは思っていたのですが東萩駅の近くには駐車場がないんです。駅の送迎用の駐車場に車を置きっぱなしにするわけにもいきませんし。

うーん。まいっか。松陰神社は無料だしあそこに車を停めて東萩駅まで歩いて戻ればいいさ。

井上勝、ピカチュー!
井上勝、頭がピカチュー!

ともあれ井上勝ゲットだぜ!

日本の鉄道の父と呼ばれる井上勝さん。若き日の格好いい写真もあるのになんでこんな頭がピカチューなやつ使われてるんだろう。

井上氏の名誉のために記事の最後に萩駅にある格好いい銅像を載せときますね。

②伊藤博文別邸/伊藤博文

車で移動。東萩駅の横を流れる松本川を上っていって古いコンクリ橋を左に折れれば松陰神社にあたります。

松陰神社の鳥居
松陰神社の鳥居

伊藤博文別邸は松陰神社のすぐ傍だし、せっかくなので松陰神社にお参りしていきましょう。

まずは松下村塾から。

え!松陰神社に松下村塾があるの?と思われた方、逆です。松下村塾のそばに祠を建てたのが松陰神社の始まりなんです。

松下村塾
松下村塾

吉田松陰先生主催の松下村塾。

幕末は攘夷、開国、倒幕、佐幕、尊王、勤王、公武合体に身分制度と多種多様、個々人の思惑が入り乱れましたが、吉田松陰の思想はそのどれともつかない源流的でアナーキズムすら混じったような思想だったと僕は思っています。

吉田松陰は早くに表舞台から消えてしまいましたが、その思いを継ぐ者たちがそれぞれの解釈で明治維新を進め世の中の近代化を進めたと思っています。

最初はね、英国大使館焼き討ちとかかなりやばいテロリスト集団ですけど勝てば官軍的な。そんな感じ。

松陰神社
松陰神社

こちらの正面が松陰神社様。一応ご挨拶はしましたが、今日はそのお隣の松門神社へのお参りがメインです。

松門神社
松門神社

松門神社は松下村塾の門下生の霊を祀っている神社なのです。

長州ファイブで言うと伊藤博文は門下生で確定。他の4人は門下生かどうか僕は知りませんが、英国大使館の焼き討ちに参加したりあたりからほかの門下生とは関りがあるはず。

というか幕末から明治にかけて名をなした人は、少なからず松下村塾の門下生と関りを持たずにはいられなかったはずです。

なんか政治臭くなりました。伊藤博文別邸へとまいりましょう。

伊藤博文の陶像
伊藤博文の陶像

伊藤博文の別邸は松陰神社正面入口右の土産物屋さんの裏から小道に出て左。100mも進んだところを右に曲がるとあります。

別邸の手前に兵庫県知事着任前に住んでいた家、その手前の広場に陶像があります。銅像じゃなくて陶像ね。これ萩焼だそうですよ。お顔は1,000円札時代のものかな。

兵庫県知事着任前に住んでいた家
兵庫県知事着任前に住んでいた家

伊藤博文は旧大和町の農家の生まれでして、一家で萩に移り父親が長州藩の足軽伊藤家に入りました。
※現在、旧大和町の生家は記念館になっています。

身分に関わらず誰でも学べる松下村塾に通いますが、吉田松陰からの最初の評価は「学も才能もない。ただ真面目なやつ。」と身も蓋もありません。
※後に「政治家向きだな」との評価ももらいます。

一方、伊藤も後年「吉田松陰にはそれほど世話になっていない」などと語っていますが、松陰先生にはお世話になっていないとしても門下生にはめちゃめちゃ可愛がられたじゃろが!と言いたくなります。
※特に高杉晋作兄貴。さらに井上馨とも盟友ですもん。

写真の家は兵庫県知事着任前に住んでいた家とのことで、この頃は木戸孝允の小間使い的な扱いでした。木戸孝允(桂小五郎)も松下村塾の門下生です。

伊藤博文別邸
伊藤博文別邸

そしてこちらが伊藤博文別邸。伊藤博文別邸は先ほどの藁ぶきのすぐ隣にあります。

この別邸は伊藤が絶頂にあった明治期に東京都品川区にあった伊藤博文別邸を三分の一ほど萩に移したものだそうです。

鴨居をまたいで正面に中庭が見えますが、三分の一でこれかよと思うような広さのお宅です。

中庭の灯篭
中庭の灯篭

正面の中庭を眺めていると係の方(お二人ともとても感じの良い方でした)が説明してくださいました。

立:立派な灯篭ですねー
係:明治天皇から贈られたものだそうですよ
立:それで菊の御紋が。あれでも左側?
係:五七桐ですね。
立:お印的なものですか?
係:ん-まあ。あっ。
立:はい?
係:五七桐を会社で使ってるところがあるんです。
立:それは不遜ですねー。
係:桐灰はるってご存じ?

分かったようでわからないので調べてみました。

五七桐紋は、中心に7つ、左右に5つの花を立てた桐紋。桐紋の中で最も権威が高く、『五三桐』よりも格が高い。天皇家の家紋として知られるが、天皇家が自身で用いるより、足利氏や豊臣氏など政権を担当する家に下賜されて用いられることが多かった。

だそうです。

とするとこの灯篭は「政権は伊藤に任せたぞ」という明治天皇の思召しの象徴ということでしょう。五七桐紋は現在、日本政府の紋章でもあります。ちなみに桐灰はるは五三桐で不遜でもありませんでした。

別邸を見て回る
別邸を見て回る
モダンで良いですなあ
モダンで良いですなあ

数年前に仕事で静岡に行った際に岩崎弥太郎の別荘に泊まったことがあるのですが(蚊に悩まされて大変でしたw)あそこも縁があってモダンで雰囲気が良かった。縁側の廊下と障子、冬の保熱のための工夫だと思いますがなんとも風情があって良いですねえ。

立:二階もいいですか?
係:どうぞ。

伊藤博文
伊藤博文

伊藤博文別邸二階にて。開けっ放しの窓から田床山を下りた風が吹き込んできます。

調整とまとめあげの天才伊藤博文。学も才能もないと言われたところから初代内閣総理大臣にまで上り詰めた男。

頑張ったな、利助。

③萩城/遠藤謹助

松本川を下る
松本川を下る

立:俺もこんなとこで芸者あげたいわー!

※素晴らしい別邸でした。が伊藤博文は芸者遊びが大好き!きっと伊藤別邸にはたくさんの芸者さんを呼んだことでしょう。しかしタニマチともめたくないので一流どころは絶対に呼ばなかったという。さすが調整の男、伊藤www

と伊藤博文別邸を後にし松本川を下ります。この松本川の下りは高杉晋作が松下村塾から帰宅する際に通ったはずの道なんです。川沿いの木々と青い空。江戸末期も今も変わらない景色でしょう。

さて、次に向かうは遠藤謹助の待つ萩城なのですが、この日の気温は36度でとにかく暑い。

東萩駅でレンタサイクル
東萩駅でレンタサイクル

こんなの歩けるわけなくねってわけで、再び東萩駅に寄って自転車を借りることにします。3時間で600円だったかな。

萩の町は2つの川に挟まれた中州なので自転車があればスーイスイです。

浜崎伝統的建造物保存地区
浜崎伝統的建造物保存地区

街なかを通れば早いのですがちょっと遠回りをして駅から松本川を下っていきました。松本川下流には漁師町的な雰囲気があって見てて気持ちがいいんです。

おっと。道沿いに浜崎伝統的建造物保存地区の看板がありました。ここは入ったことないぞ。

商家の通り
商家の通り

川沿いは漁師町的な雰囲気ですが、浜崎伝統的建造物保存地区に入ると昔の商家が並んでいました。

車じゃ絶対に入らないような路地も自転車ならすーいすい。祭りの練習なのか料亭の二階あたりから笛と鐘と太鼓の音がトテチントンと響いてきました。

あれはもしかして芸者遊びの音なのか?トテチントン。

菊ヶ浜
菊ヶ浜

商家の遊びを堪能して海際に出るとそこは菊ヶ浜。写真の右にポッコリ突き出した山が指月山で、あそこに萩城があります。

あの指月山の山頂には二の丸(本丸?)もあるんですよ。山頂の白壁に銃座も残ってましていい感じのところです。

城下町の名残
城下町の名残

しばらく菊ヶ浜沿いを走っていたのですが、一本登って町側へ。ここらは城下町の名残がありまして車でも通れますが道幅も狭いし、自転車だといい感じに走れます。

萩城に到着
萩城に到着
在りし日の天守閣
在りし日の天守閣

萩城に到着しました。残念ながら萩城に天守閣はなく今は城壁のみなんですね。天守閣は明治7年に3,000円くらいで売られたんじゃなかったかな。今なら僕が買い取ってあげるんだけどねえ。
萩城格好いいよなー。

志都岐山神社へ
志都岐山神社へ

萩城について向かうは志都岐山神社。もともと萩城の本丸があったところに神社が設けられていまして、こちらには毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の五柱を祭神として初代から12代までの萩藩歴代藩主が祀られています。

維新といえば敬親でしょ。

遠藤謹助
遠藤謹助

毛利のお殿様の前で遠藤謹助を愛でました。遠藤謹助さんはあまり知らないので今回調べてみましたら。

遠藤謹助は「明治維新後は、明治3年(1870年)から死去する1893年(明治26年)まで造幣局に務めた」人。

「毎年4月中旬の1週間、局内の桜並木を一般公開する桜の通り抜け (大阪造幣局)は、明治16年(1883年)に当時の局長だった遠藤の指示により始まり、現在も大阪の春の風物詩として継承されている。」

だそうです。明治が令和にもつながってるって素敵なことですね。

志都岐山神社本殿の前が涼しくてしばらく休憩しました。
ここは落ち着く場所です。

④萩博物館/山尾庸三

さて再び移動開始。萩博物館は萩城の近くで城下町を東に戻る途中にあります。

萩博物館
萩博物館

萩博物館にはたくさんのお子さんがいらしてさながら幼稚園の様相を呈していました。いやこれは批判的な意味じゃなくて。

僕は博物館や美術館や図書館にはたくさん子供が来て「なにこれ?」とか「ぎゃー!」とか「すげー!」とか走り回るのを是としています。「なんで?なんで?」を育てるべきだと思ってるんでこの雰囲気がいーなーと思ったんです。

萩・古生物キングダム
萩・古生物キングダム

係りのお姉さんに「今日は子供無料の日ですか?」と聞いてみると「いつもこんな感じです」とのお返事。さすが文化の香り高い萩市ですな。

「ただ特別展示もありますからね」というのがこの萩・古生物キングダム。もちろん僕も特別展示を見て「なにこれ?ぎゃー!」してきましたwww 許して。
※館内写真撮影不可なので写真は割愛します

山尾庸三
山尾庸三

萩博物館でもらった山尾庸三さん。

山尾庸三は秋穂二島出身。工部卿ほか東大工学部創設などで日本の近代化に尽力した人。退官後は盲学校・聾学校を設立するなど明治にあって人権にも配慮した先進的な方です。

伊藤とともに英国公使館焼き討ちにも参加したりしてますが、やはり知見と役職が人を作るということでしょう。若い人の抜擢が時代を作る。いつの世も同じです。

⑤萩明倫学舎/井上馨

ラストは萩明倫学舎。これまた絶対に車じゃ通らない萩城下町の小道を自転車で下っていきます。

萩城下町の小道を下っていく
萩城下町の小道を下っていく

萩城下町もだいたい碁盤の目になってまして、大きい道路がだいたいこっちよねと分かっていれば道に迷うことはありません。

萩明倫学舎に到着
萩明倫学舎に到着

萩明倫学舎に到着しました。夏休みの三連休のこの日、明倫学舎の本館では子供向けのお祭りが催されていました。

本館、3号、4号は入場無料。カードのもらえる2号館は有料です。いいんです。大人からはお金とっていいんです。

2号館の階段
2号館の階段

もちろんカードの欲しい僕は2号館へ。各館ともリノベが進んで床なんかめっちゃピカピカになっていますが、それでも昔の建築を思わせる懐かしい雰囲気が残っていました。

2号館の廊下
2号館の廊下

引き戸と窓枠が往来の小学校を思い出させますよね。僕が子供のころの小学校ってこんな感じの木造校舎でしたもん。もちろんこんな綺麗な床材でも白壁でもありませんでしたけど。

本館のお祭り
本館のお祭り

本館のお祭りで雑巾がけ体験が行われていました。スピード勝負で早かった子にはなにか商品が出たのかな。面白い試みですね。

右の部屋の射的も一応見に行き、2号館のチケットにあわせてもらった射的無料券は並んでたお母さんにあげちゃいました。

僕ちゃん上手に当てるといいね。

井上馨
井上馨

山口市の湯田温泉生まれ。ハジメって読みたくなるけどカオル。イノウエカオルちゃん。

毛並がよく萩明倫館に進み松下村塾には入っていないものの伊藤や高杉晋作とは超仲良しの人です。

伊藤博文よりも年上かつ家も格上にも関わらず利助・聞多(聞多は毛利敬親からもらった名前)の仲だったり、下関戦争の話を聞くや急騰帰国し高杉晋作に攘夷から開国への翻意を促したりした人。

伊藤の元で外務大臣他さまざまな閣僚を歴任。誰の評価か忘れましたが(黒田かな?)「伊藤は用意周到に準備し調整で乗り切るが、井上は難局が現れるやたちまち現れ瞬時に判断し勢いで乗り切る」みたいな話を読んだことがあります。

伊藤の汚れ役を買って出てた優しい人です。山口市の湯田には井上公園があります。

萩観光案内所/スペシャルカード

さて本当のラストのラスト。今回「幕末志士カードラリー2023」で5人のカードを集め終わった方には萩観光案内所にてスペシャルカードが付与されます。

長州ファイブ スペシャルカード
長州ファイブ スペシャルカード

さらにアンケートに答えると9月末に抽選もあるとかないとか。詳細な内容は、萩観光案内所のお姉さんに見惚れて聞き逃してしまいました。アンケートには答えたけどね。

萩観光案内所は萩明倫学舎の駐車場側バス停のところにありますから、スペシャルカードは絶対もらったほうがいいですよ!

幕末志士カードラリーおすすめのルート

さて一周ぐるっと回り終えたので最後に今回のカードラリーの気づきとおすすめのルートを記しておきます。

僕は東萩駅から始めて東から西へと進みましたが、一番西にあるポイントの萩城には駐車場もレンタサイクルショップもあります。なのでこのカードラリーは萩城から始めるのがお薦めです。

幕末志士カードラリーおすすめのルート
幕末志士カードラリーおすすめのルート

萩城→萩博物館→東萩駅→伊藤博文別邸→萩明倫学舎→萩観光案内所→萩城

このルートであれば駐車場を気にする必要もなく、自転車に乗って萩市内を観光でき、しかもロスなくスペシャルカードまでたどり着くことができます。

「幕末志士カードラリー2023 ~長州ファイブ編~」は7/22~8/31まで開催。
各所限定カード枚数は1,000枚。まだ間に合いますよ。
萩にGOです!

追記:萩駅の長州ファイブ展

そう言えば萩駅に井上勝の銅像があったよなあと車の中で思い出したので、帰りに萩駅に寄ってみました。

めっちゃ格好いい井上勝
めっちゃ格好いい井上勝

なんか実物以上に格好良くなっていそうな井上勝の銅像。このポーズが現場の人だったんだろうなーと思わせます。

ところで井上の後ろに建つ萩駅舎もレトロモダンで格好いいっすね。萩駅舎は大正14年の建築、平成10年に当時の姿に復元されています。

萩駅舎ではパネル展示が行われていて「長州ファイブのキセキ」展をやっていました。

どうやら限定カードに使われた各ポートレートはここ萩駅に集められた長州ファイブの写真から作られたみたいですよ。

なのでカードを逃した方は萩駅に寄ってみるといいです。これなら夏日に当たらなくても良いし、おじいちゃんおばあちゃんでも大丈夫だから。

萩はなかなかサービスいいね。
そいじゃまた。

長州ファイブ
長州ファイブ

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