Twitterで山口市にも鉱山跡があるということを教えていただきました。山口市阿東蔵目喜の桜郷銅山です。先々月行った石見銀山が好印象だったので地元に鉱山跡があるならぜひ見ておきたい。
桜郷銅山跡に行こう
地元の物知りのおっちゃんに「桜郷銅山知ってます?」と聞いてみると「生雲のちょっと向こう、確か蔵目喜だな」と。なんでも知ってんな、おっちゃん。簡単に行き方を聞きました。
「道の駅長門峡を越えてちょっとしたら左」と聞いたので長門峡に寄って体調を整えておきます。
道の駅から1㎞先に生雲←の看板があります。この道、山の端が奇麗に見えるので好きなんですが生雲に出るにはちょいと遠回りだったはず。
9号線からハンバーグの樹里庵を曲がって県道11号萩篠生線を進んだほうがシンプルだったな。
県道11号で「国指定名勝/常徳寺」の看板を過ぎ、坂を下ったら大きく左に曲がります。ここはナビを入れてても分かりにくいので要注意です。
カーブから200mも下れば右手に上の看板が見えます。ここのバス停の名前が面白いんです。
「どう!ってすげーな!」と一人ニンマリしてたのですが”あかがね”でした。そっか。銀はしろがね、銅はあかがね、鉄はくろがね。かつて銅山で栄えた町なので地名に残ってるそうです。
僕のカーナビが古くて桜郷銅山跡農村公園が出てこなかったので、蔵目喜民俗資料館に来てみました。
こちら昔の小学校がふれあいセンターになってて、その中に民俗資料館があるようなのですが鍵がかかってて入れません。
扉に地図が貼ってあったのでしばらく周りをうろうろしたのですが、桜郷銅山跡農村公園はどこ?
畑で作業をされていたおじさんに聞くと、民俗資料館には曲がらずにまだまだ舗装路を進めばよかったようです。
「それほど遠くないよ」とのことなので民俗資料館に車を置かせてもらって歩くことにしました。
あ、皆さんは車で行かれたほうがいいと思いますよ。この先、道の真ん中にサルとか居ましたしw
桜郷銅山跡農村公園
蔵目喜の桜郷銅山跡は公園になってまして、駐車場もトイレも休憩室も完備でした。
公園に入るといきなり本日のメイン、水選鉱跡が現れます。
僕はこの水選鉱跡を「山口のマチュピチュ」と名付けました。
山口のマチュピチュ 水選鉱跡
愛媛に住友の礎となった別子銅山跡がありましてね。そいつは大規模で「東洋のマチュピチュ」って呼ばれてるんです。規模的にこっちは小さいのでちょっと遠慮して「山口のマチュピチュ」くらいでいっかなと。
で、この遺構は水選鉱というものでした。
水選鉱とは、鉱石を粗選別した後、クラッシャーで砕石した鉱石から銅や硫化鉄鋼などの金属を取り出すため、斜面の上部から水とともに流し、段階的に選別してた施設である。特に昭和30年~37年頃まで稼働し、原料の鉱石は、着ノ谷鉱山からほとんどが運搬されていた。
水選鉱跡の看板
古の石見銀山や長登銅山とも異なりますが、近代の遺構もまた趣があって良いじゃないですか。
桜郷銅山跡農村公園にはこの水選鉱跡以外にも見どころいっぱいです。
風穴 桜一番坑
水選鉱の先には風穴・桜一番坑がありました。
おっと、この看板はちょい残念。抵抗の抗じゃなく坑道の坑、土へんが正しいと思いますが、ま、風穴から流れ出る涼風の気持ちよさの前じゃどうでもいい話か。
間歩(坑口)
そのお隣に間歩(坑口)の看板がありました。ここは40~50段登るだけで坑道の入口にたどり着きます。
どちらが古いのかわかりませんが、露天掘りだけじゃなくて間歩もあるんですね。
あとで露天掘りを見に山に登っていきますが、その途中にも2つくらい間歩を見ることができるので、この短い階段は興味のある方だけ登ればOKです。
説明看板2つ
露天掘りに向かう前に桜郷銅山の情報を仕入れておきます。
字がかすれて読みにくいので一部推定です。
蔵目喜銅山 桜郷鉱山露天掘り跡
山口県文化財愛護協会/山口市教育委員会
山口市蔵目喜
蔵目喜地区は、古くから、防長屈指の銅山として栄えてきました。
ここ桜郷鉱山は、その中でも中心的なヤマの一つです。
伝承によれば、古代に深さ三十メートルにおよぶ銅鉱脈の露頭が発見され、採掘・精錬された銅は、長門(長府)や周防(山口鋳銭司)にあった鋳銭所(銭をつくる役所)の原料や、東大寺大仏の建立にも使用されたと伝えられています。
桜郷鉱山は、約千二百年間にわたり栄枯盛衰を繰り返しましたが、昭和三十八年宇部興産の操業を最後にヤマの歴史を閉じました。
いまでは、山上にある露天掘り跡や宇部興産操業時の巨大な選鉱施設などが、当時の繁栄したヤマの歴史を伝えるのみです。
平成二年二月28日設置
スカルン鉱床っていうんですが、石灰岩層の周りには金属鉱床ができやすいみたいです。石灰に銅と宇部興産はだいぶ秋吉台に助けられてますね。いや、石炭から始まった採掘技術を様々に広げていったということか。
桜郷銅山農村公園散策コースの看板。左下の青い水選鉱跡はさっき見ました。右下の短い間歩も見に行きました。
あとは遊歩道をつづら折りに登っていって東屋、第1露天掘跡、山神社跡、第2露天掘跡、第3露天掘跡とみていきます。
遊歩道
この階段に足を踏み入れるのはなかなか勇気がいりましたが、桜郷銅山農村公園散策コースの看板からすると水選鉱跡を上から眺められそうなのでそれを楽しみに登りました。
つづら折りになった階段の踊り場には間歩もあり一息つきながら中を覗き込むことができます。
やがて空が開け、登り切ってみると山頂は公園整備がされてました。どうも車でも登ってこれそうです。道はわかりませんが。
楽しみにしてた水選鉱跡の上からの景色ですが、残念というか想像していたほどではありませんでした。
東屋・第1露天掘跡・山神社跡
東屋・第1露天掘跡・山神社跡は1セットです。
桜郷銅山露天掘跡
看板から
露天掘りは、最も古い採掘方法で、807年頃に採掘があったことも記録されています。全国的にも原型を止めている数少ないものです。
特に第2、第3露天掘跡は、深さ30メートルにまで及んでいるところもあり、壮観です。
露天掘りってのは、鉱石を採取する際に坑道を作らずに地表から直接掘り進んでいく採掘方法です。鉱床が浅くて広い場合にとられる手法らしいのですが結構掘ってますねえ。
坑夫が坑内に入るときには必ず山神様を拝んでいたといいます。山神祭りには、坑夫の家族、近郷のものも集まり、神事の後に運動会やすもう、福引なども行われ、近代では映画、芝居なども行われ賑わいました。
看板から
蔵目喜は銅山で賑わったというのは、物知りおじさんも言ってました。
第2露天掘跡
第1露天掘跡を降りて第2露天掘跡へ。第2・第3露天掘跡はきれいに公園化されてます。
第3露天掘跡
第2・第3露天掘跡は遊歩道が設置されていてぐるっと一周できます。下の写真は第3露天掘跡の一番奥から。
桜郷銅山跡農村公園、マチュピチュから始まってぐるっと回っても一時間くらいでしょうか。古代と近代がミックスされた鉱山跡ということで、なかなか見ごたえがありました。
ここはもっと有名になってもいいんじゃないかな。
あ、そうそう。蔵目喜民俗資料館を出発して以降、誰にも会いませんでしたので、もし見学に行かれるのであれば複数人で行かれたほうが良いと思います。
けっこう大きな獣の💩とか落ちてますので。
常徳寺にも寄ってみた
桜郷銅山跡の帰りに常徳寺にも寄ってみました。このお寺さん、銅山とも関わりが深いのです。
常徳寺は山口県に13か所ある日本国指定名勝の一つで、雪舟作のお庭があります。
それだけじゃなくて山号が「出銅山」でして、こりゃ銅山となにか関係があるなと。
言うほど狭くはないのですが、地元の方とすれ違いが厳しいので手前に車を置いて歩いて常徳寺庭園に向かいました。
常徳寺庭園は拝観料無料です。山を借景として手前の芝・池泉・浮島・岩の並びは常栄寺雪舟庭と似た感じがありますね。
ここ常徳寺庭園は、国交省が取り組むガーデンツーリズム登録制度に雪舟ゆかりの庭園として常栄寺雪舟庭・大内氏館跡枯山水庭園および池泉庭園とならんで登録されています。徳佐にもうひとつ雪舟作の庭があった気がするのですが記憶違いかな?
いや、庭も雪舟もどうでもよくて、山号ですよ。
常徳寺は山号を出銅山(しゅつどうざん)と称する浄土宗の寺院です。江戸時代の記録に天正期(1573-1593)の創建や再興という記述があることや、境内に残る石造物が天正~慶長期(1573-1615)に造られたものであることから、常徳寺はこの時期に創建された、または反映していたと考えられます。
常徳寺
その背景には蔵目喜鉱山の繁栄が考えられ、江戸時代中期の絵図には、常徳寺のある「町」集落周辺に多くの建物が描かれています。
江戸期に町が栄えて山号を出銅山としたと。この時期の銅山は毛利さんの持ち物だったのでしょうね。
蔵目喜は、古くから鉱山で栄えた地域でこの一帯に大小様々な鉱山が確認されています。
蔵目喜地域
蔵目喜鉱山はそれら鉱山の総称で、江戸時代には藩の主要な鉱山として、主に銅や鉛を産出していました。常徳寺周辺でも、多くの旧坑が確認されているほか、「銅」という地名や常徳寺の山号などにその名残を見ることができます。
その後も開発と衰退を繰り返した蔵目喜鉱山は、昭和39年(1964)に桜郷鉱山が閉山し、その歴史に幕を閉じました。
現在、桜郷鉱山の一部は、桜郷銅山跡農村公園として整備されており、露天掘跡などを間近に見ることができます。
歴史を含めて僕の知りたかったことが凝縮されてる感じ。常徳寺にあるこの説明看板が一番わかりやすかったかも。
桜郷銅山跡に行かれたら常徳寺庭園も併せてどうぞ。
お薦めです。