中国地方でもっとも若い活火山、島根県大田市の三瓶山の火口をぐるっと回ってきました。
三瓶山は名山に選ばれるだけあって山容も歴史も興味深い山です。
三瓶山あれこれ
まずは三瓶山を知ってみましょう。
三瓶山はおっぱいinカルデラ
三瓶山の最後の噴火は約4000年前(縄文後期)だそうです。2003年(平成15年)に火山噴火予知連絡会は「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」を活火山と定義し直し、この結果、三瓶山は山口県の阿武火山帯などと同じく晴れて活火山の仲間入りをしました。
三瓶山は主峰男三瓶(1125.8m)をはじめとして女三瓶、太平山、孫三瓶、子三瓶等の山々が、室ノ内と呼ばれる火口を取り囲むように並んでいます。
こう書くと元々あったでっかい山を室ノ内の火口がぶっ飛ばしたように思われるかもしれませんが、実は上で挙げた山は(太平山を除けば)すべて溶岩円頂丘で、粘性の高い溶岩が個々にドームを造っているいわゆるオッパイ(溶岩円頂丘は乳房型とか言われるんです)の集合体です。
でっかい火口というと西の原など三瓶山を取り囲む緩傾斜地自体がカルデラ(火山の噴火によってできた丸く大きくくぼんだ地形)で、個々のおっぱい以前にこの地に大規模な噴火がありその大火口が窪地になっていることがうかがえます。
以上のことから三瓶山の山容を一言で表しますと「三瓶山はおっぱいinカルデラ」ということになります。
三瓶山と国引き神話
縄文後期の噴火から時代が下りまして神代の話。出雲風土記には三瓶山が「佐比賣山(さひめやま)」として登場しています。国引き神話というそうですが簡単に書くとこんな感じです。
出雲の国を作ったはいいものの細いなあ。
国引き神話(僕的要約)
せや。新羅を分割して網で引っ張りよせるか。
よいしょ、よいしょ。
よっしゃ、くっついたで。
流れでんように佐比賣山で杭打っとこ。
土地を作る神話に火山が関係してるってのは面白いですねえ。しかも雲いずる国、出雲。立ちのぼる噴煙、杭。まさか縄文後期から脈々と受け継がれた伝説が…なんてのはさすがに無理があるか。
三瓶山の名前の由来
さて、神代の昔に佐比賣山(さひめやま)と呼ばれていた山が、どうして三瓶山という名前になったのでしょう。Wikiには「奈良時代の二字好字令によって三瓶山と表記されるようになった」とだけ書かれていますがこれについては石見銀山世界遺産センターで見たビデオに説明をみつけました。
三瓶山の名前の由来は石見国を平定した宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)が麓に奉納した三つの瓶(かめ)にちなみます。物部神社の一瓶社に伝説の瓶のひとつがあるとされます。
石見銀山世界遺産センター
宇摩志麻遅命は物部氏の初代なので、更に時代が下って今度は古事記あたりの話になります。古事記ってのは微妙にうさん臭くて、これって出雲がヤマト王権に負けた後に作られた創作話に思えるんですよね。山口県出身の僕ですがもともとの出雲の地名が創作話に乗っ取られちゃったってのはなんだか口惜しい気がします。
若干の愁いを残しながらも三瓶山の成り立ちから名前の由来までがわかりました。
そんじゃ三瓶山行ってみましょ!
三瓶山ハイキング
島根県大田市の三瓶山。山口県山口市から西の原までは220㎞の距離ですが頑張れば日帰り可能です。
あちこちと動き回ってる僕ですがなかなか島根県大田市まで来ることはないので、今回は三瓶山を全部回ってやろうと西の原(左下)から入って男三瓶山、女三瓶山、孫三瓶山、子三瓶山、時計回りに回ってきました。
西の原から男三瓶山
5時半起きして6時過ぎに山口市を出発。中国自動車道を登り目指したのは西の原の山の駅さんべです。
中国自動車道をひた走り10時に西の原駐車場 in カルデラに到着。目の前に子三瓶、向こうに男三瓶が見えます。
西の原駐車場にはめっちゃ綺麗なトイレがあったので体を軽くして出発です。
10:12 西の原登山口 463m
西の原登山口は、山の駅さんべの真ん前の横断歩道を渡ったところにあります。
3月20日に野焼きが行われたようで、西の原は見通しよくすっきり。登山道は下草もなく軽快に進めました。
間もなく扇谷分岐点に到着。
10:25 扇谷分岐点(4番分岐)556m
設置された登山道MAPを眺めて、こっちやなと男三瓶山へ。
扇谷分岐の道標には「男三瓶山90分」と書かれていまして「登り600mで到着が12時かあ。お鉢回りして降りると夕方だなあ。もうちょっと早く家出れば良かったなあ。」と若干の後悔。まあ、男三瓶山を登ってみて時間的に帰れそうになければピストンで終了するだけのことですが。
最初は山腹をつづら折りに登っていくのですが、三瓶山はさすが日本二百名山・中国百名山の一座だけあって、日頃歩いてる山口県の里山とは段違いに道がいい。
ザ・ハイキング!って感じです。
道のわきにグリがゴロゴロ。これが粘性の高い溶岩から作られた火山岩のデイサイトかー。転がってる石には白色だけじゃなく結構ピンク色の岩も多くて、なんだろなーと調べてみたところ地上に出てきた溶岩が急速に酸化するとピンク色になるらしいです。
転げ落ちてる岩のほとんどは白かピンクなんですが、登山道横の土のえぐれた部分は黒っぽいんです。この黒っぽい土を指で触ってみるとネチャッとした泥なんですね。こりゃなんすかね。火山灰ですか。
つづら折りの土の道が終わると次は岩の道登り。ここからがなかなかきついんです。まあ溶岩円頂丘の中腹はきついに決まってるのですけど。登りながら右に子三瓶山に刻まれた綺麗な道を見て癒されました。
標高1000m地点ではまだまだ岩の道が続きます。男三瓶は1125.8mなのであと100m登れば山頂なんですが、ここからが溶岩円頂丘の面白いところ。
溶岩円頂丘って粘性の高い溶岩がドームを作るわけですが、中腹に崩落があったりなんだりでその形は鍋型だったり乳房型を形成します。
つまり中腹はきついけど、山頂に近づくにつれて平らになっていくってわけです。
ほらね。山頂に近づくとこんな素敵な道になるわけです。(゚∀゚)o彡゜火山!おっぱい!火山!おっぱい! って言いながら進みたくなるでしょう?
11:37 男三瓶 1125.8m
道標には扇谷分岐点から90分と書かれていましたが1時間ちょいでここまで上がれました。これならお鉢回りしても大丈夫かな。
男三瓶山の一等三角点は基準点名も三瓶山。
三角点の向こうに見えるのは方位盤で三瓶山一帯の地形とどちらに何が見えるかが書いてあります。大山の方向を見てみましたが残念ながら霞がかかって何も見えませんでした。
男三瓶山の山頂は横に長く左右に見晴らしがききます。北の原展望所からは大田市街から出雲市方向が見えるはずですがやはり霞がかかって何も見えず。
室の内展望所に行ってみましょう。
前方に広がるすり鉢状のくぼ地が室の内です。今から約4千年前にこの室の内を中心とした三瓶山最後の大規模な火山活動があり大量の火山堆積物を噴出しました。このときの火山砕屑物が堆積してできたのが大平山です。大平山は後から出てきます。
窪地の一番下に見える池は室の内池です。川はなく雨水がたまった池。これも後から何度も出てきます。
男三瓶山から女三瓶山
男三瓶から女三瓶に向かいますがここがお鉢回りで一番の難所らしいです。気を付けて行きましょー。
11:47 三瓶山頂小屋
山頂から階段を降りればすぐそこに山頂小屋。
避難小屋なので誰でも入っていいらしいのですがトイレも水もないということなのでスルーします。
この先は地震で道が崩れているので気をつけなさいという警告がありました。
ここはそれほど危ないわけでもありません。そりゃ前に出たら落ちるけどね。
右端に電波塔の立った山が見えますがあれが女三瓶山です。ここからはまだもうちょい距離があります。
12:05 ユートピア 980m
なんだか分からないけどユートピア。実際、ただの道の途中でユートピアでもありません。
看板に犬戻しとありますがどこがそれだったのか分からないなあ。岩のあたりかな。
犬戻りとか馬返しとかよく聞く地名で「あんな所は犬も通らねえ」の意味で険しい道を指すわけですが、それがどこだか分らなかったなんて僕は犬よりアホなのか。ワン!?
すっごく乾いた砂場。崖とかは慎重に歩くのでなんてことないのですが、ここは油断して尻もちを着いちゃいました(笑) まいったね。
12:14 兜山
ほい、兜山に到着。
ここから女三瓶山はすぐ近くに見えます。すぐ近くに見えるのにさらに下って登りなおす必要があります。
これがその下り。危ないとは思いませんがごつごつの岩だらけでお尻を打ったら4つに割れちゃいそうです。こういうところは慎重に太いロープに助けられながらいきましょう。
12:23 女三瓶山 950m
鞍部から軽く登りなおせば女三瓶山に到着です。
女三瓶山山頂には電波塔が乱立しています。電波塔の周りをうろついてみたのですが特に見るものはなくあまり情緒もありませんでした。
よかよか。12時を回ったのでここらで昼食としましょう。
男三瓶から女三瓶はだいたい40分で来ることができました。最初の扇谷分岐から男三瓶山山頂までの時間を考慮しても、道標に書かれた登山時間の2/3くらいを見ておけば実際の工程に近くなるに違いありません。
これなら陽が落ちる前に西の原に戻れそうです。
残すは孫三瓶と子三瓶。子三瓶の山容は山頂に台地があり典型的なオッパイの形です。おっぱい!? おっぱいと聞けば、焼きそばパンの補給で僕のマグマも沸々と湧いてきました。
そんなわけで後半も行くよー!
後半を書き終えるまでしばらくお待ちください。
後編書きました!
ここで近隣の溶岩円頂丘をまとめておきましょう。
まずは萩の鍋山。等高線図を見れば「なるほどこれがおっぱいか」と納得の逸品です。
次は津和野の青野山。あの柿本人麻呂も恋しいと詠んだ歴史あるおっぱい山です。