山口県百名山の一座、萩市紫福の鍋山に行ってきました。鍋山は阿武火山群の単性火山で鍋をひっくり返したような形。そして紫福(しぶき)は隠れキリシタンの里。
萩市紫福は地学的にも歴史学的にも興味深い場所でした。
阿武火山群の単性火山、鍋山
鍋をひっくり返したような形をした鍋山。まずは鍋山の地学的な話から始めましょう。
名著「山口県百名山」では鍋山の山容をトロイデ型火山と表していたかと思いますが、最近は山容よりも火山の生成過程が重視されているようです。
鍋山は溶岩円頂丘
鍋山は溶岩円頂丘なんだそうです。言葉がわからないとどうしようもないので世界大百科事典から溶岩円頂丘を引用します。
溶岩円頂丘(ようがんえんちょうきゅう)
世界大百科事典 第2版
粘性の大きな溶岩が火道からゆっくり押し出されて火口上に盛り上がり,側方にもふくらんで固化して生じた単成火山。基底直径1km以下,比高300m程度の小型のものが多い。溶岩の粘性が小さいほど釣鐘状から乳房状,洗面器を伏せた形へと横に広がる外形を示す。
溶岩円頂丘の解説はまさに鍋山の特徴を表してますね。等高線が奇麗に円形に広がってて、山頂が平たんなことなんかも地図(等高線)とリンクしてきます。
あと、溶岩の粘性は玄武岩質<安山岩質<デイサイト<流紋岩質の順に大きくなります。右に行くほど粘っこく二酸化ケイ素(SiO2)の含有量が多くなるので、鍋山では白っぽい火山岩が見られるはずです。楽しみだなあ。
鍋山は単性火山
ところで溶岩円頂丘の解説にあった「単性火山」ってなんなんでしょう。
今度はブリタニカ国際大百科事典を引いてみました。
単性火山
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
噴火など1度の活動期で形成された火山。(中略)山体は一般に小規模で,火山地形としては,溶岩円頂丘(溶岩ドーム),火山岩尖,砕屑丘,マールが相当する。(中略)日本国内には(中略)山口県北西部の阿武火山群があり,いずれも活火山に定められている。
今度は阿武火山群の名前が出てきました。国際大百科事典にローカルな名前はうれしいなあ。
実は中略した部分には「単独に存在することはまれ。」という言葉もあるのですが、上図のように鍋山は単独で存在しています。これも鍋山(というか阿武火山群というか萩ジオパークというか)の面白いところですね。
そんなわけで、鍋山は色々と特徴的な山であることが分かりました。それにしてもこのネーミングの妙ですよ。市女笠のような形だから笠山、鍋をひっくり返したような形だから鍋山だなんて、火山学もないような時代にこうした山名を付けた昔の方のネーミングセンス。
これは本当に素晴らしい。
いっぱいのいをおに変えて
ここで余談を少々。
久しぶりにトロイデという言葉を聞いたので津和野の青野山の時のように今回も
( ゚∀゚)o彡゜オッパイ! オッパイ!
と言いたかったのですが、真面目に調べた結果、オッパイ!と言えなくなってしまったのがあまりにも残念です。なので余談を付けておきます。
その余談というのがこれ。最近、Twitterのネタで「いっぱいのいをおに変えて」とChatGPTに問いかけるってのがありまして、あまりにも面白かったので僕もやらせてみたってわけ。
文字には起こしませんが、なんかAIにおちょくられてるようで楽しく悔しい感じがしませんか。
( ゚∀゚)o彡゜オッパイ! オッパイ!
鍋山登山
閑話休題。鍋山に登ります。
鍋山の入り方
県道10号山口福栄須佐線を進んでいますと紫福あたりで左手に鍋山が見えてきます。大板山たたら製鉄遺跡のノボリが立ち始めたら川を渡って県道316号高佐下阿武線に入ってください。
鍋山を回り込むように県道316号を進むと、垰を越えたところに路側帯があります。今回はここに車を停めさせていただきました。
近くで畑仕事をされていたおじさんに確認したところ「邪魔じゃないので大丈夫」とのこと。
法的に正しいかどうかは別としてご近所さんに了承をいただければ安心です。おじさん、ありがとう。
車を停めた場所から少し戻って畑の横の舗装路を回り鍋山に近づいています。
鍋山の麓にビニールハウスが見えますが、そのビニールハウスの左側に鍋山登山道入口の看板がありました。
鍋山登山道入口の看板から7m右に進めば猪除けの鉄柵があります。それが鍋山登山道入口です。
僕はこの鍋山登山道入口が見つけられずに右往左往してしまいました。看板を見つけたら右。これを覚えておきましょう。
芯棒を抜いて柵を開けて入山。中から仮止めをしておきます。
鍋山登山
さていよいよ鍋山入山。鍋山自体は低山なので本来はあまり書くことはないのですが、溶岩円頂丘というのが興味をそそります。
溶岩円頂丘の特徴は、麓は緩やかで、中腹は急勾配、頂上近くになると緩い平坦地となることだそうです。
鍋山はどうなのかな。事前の知識と地図と実体験がリンクしていくのかな。
麓は緩やか
溶岩円頂丘の特徴として麓は緩やかです。隠れキリシタンの墓もあり紫福の歴史も感じさせる道でした。
柵から入ってしばらくは竹藪です。道は明らかですが倒竹あり。笹葉が積もって羽虫が飛んでいたり蜘蛛の巣も少々。若干の獣臭もあってここが一番いやな感じでした。
道の端にはガレがたまっていて、パッと見た感じ崩落した火山岩(溶岩円頂丘ではよくあるらしい)かなとも思いましたが、この場所を通り過ぎてから振り返ってみると人的に積み上げられているようにも見えました。土塀なのかな。
というのが隠れキリシタンのお墓があったからです。
16世紀半ば頃、山口では大内義隆によってキリスト教の布教が認められていました。しかし、大内氏が滅ぶと毛利氏のキリスト教弾圧が始まり、多くのキリスト教信者が山口から紫福へ逃れ、さらに江戸幕府の禁教令により、信者はひっそりと山里に隠れ住んだといわれています。
後で書きますがここ紫福は隠れキリシタンの里。この形のお墓をいたるところで見ることができるんです。
竹林を抜けましたが、まだ麓は緩やかに登っていきます。
虫も気にならなくなりやっと落ち着いて岩を見ることができました。
デイサイトか流紋岩か分かりませんが、玄武岩ほど黒くないことだけは分かります。苔の付き方が違うのは部分的に成分の偏りでもあるのかなあとか思ったりして。やっぱ全然石は分らん orz…
ここで初めての分岐が現れました。真正面の緩く登っていく道のほうが明らかに登山道っぽいのですが、ピンテが示す細い道を登ってみます。
※ この分岐はすぐにつながるので結果的にどちらに進んでも問題ありませんでした。下山時に確認済みです。お薦めは直進。
中腹は急勾配
溶岩円頂丘の特徴として中腹は急勾配ですが、鍋山の登山道は山腹をつづら折りに登っていくのできつくはありませんでした。
この先、道はあまり良いとは言えなくなります。
木の枝がたまった山腹を進み、ここからつづら折りの開始です。
中腹の登山道はだいたい木の枝で覆われているのですが、土がむき出しのところは赤土っぽく、また湿っているので傾斜が急なところでは滑ります。
つづら折りの道の上にはところどころ大岩が張り出していて、もしかして落ちてくるんじゃなーい?と心配になります。小山のくせに結構ワイルド感ありです。
この辺りから清涼感のある木の香がしはじめました。桧でしょうか。さわやかで気持ちいい。
上でかなり荒れ気味と書きましたが、気づいてみると道がなくなっていました(笑)
でもなんだか上の方が明るいなあ。あれ道はじゃないかなあ。
3mかそこらの冒険なので岩と木をつかんで明るいほうに向かって登ってみることにしました。
良い道に復帰。こりゃどこかでつづら折りの折り返しを見逃したのかもしれません。帰りに見てみることにします。
頂上近くは緩い平坦地
溶岩円頂丘の特徴として頂上近くになると緩い平坦地になるというのがあります。鍋山も全くその通りでした。
山頂付近になると傾斜が緩やかになるとともに景色も明らかに変わってきました。
山頂手前になると登っているという感覚もなく森です。森。
鍋山山頂
森を進むうちに鍋山山頂に到着しました。鍋山山頂で待っていたのは、山の特徴をよくとらえた山頂プレートでした。
鍋山山頂に景色はありません。景色がなくてもこんなまっ平らな森のような山頂は経験がありませんから、それはそれで面白く感じます。
こちらは標高366.45mの鍋山の四等三角点。冠字選点番号は森9で基準点名はそのまま鍋山です。
冠字は全然関係ないはずなんですが、森さんなんて名前が鍋山にかかってるのが面白いなあ。
鍋山下山
鍋山は低山ですし登山道も一応は整備されていますので下山について特段書くこともないのですが、皆さんが同じ思いをしないために2点ほど注意点を挙げておきます。
まず一番怖いのはこれ。
だだっぴろい森のような山頂はマジで迷います。
僕は下山時に山頂プレートとの位置関係からこっちだな!と歩き始めたのですが、しばらくして道に迷っていることに気が付きました。
後でログを見ると本来の道から45度程度ずれて降りていたようです。
道迷いに気が付いてからはいったん山頂プレートまで戻り、慎重にピンテを探して森を抜けたのですが、あの森はどこまでも歩いて行けそうで本当に怖い。
前述の通り、今回、僕は登山時に中腹で岩をよじ登りました。あれはやっぱり道間違いでつづら折りの折り返しを見逃していたのが原因でした。
ちょうどその折り返し地点には大岩がありまして、岩に見とれていたために鋭角の折り返しを見逃してしまったんですね。
ちゃんと立ち止まって周りを見ていればピンテもあったのに。いくら低山でもあんまりなめちゃダメだってことです。
反省します。
ま、そんな感じの鍋山登山。無事に下山できたので隠れキリシタンの里をちょっくら徘徊してきました。
隠れキリシタンの里、紫福
紫福(しぶき)とは至福のなまったものという逸話があるそうで、萩市紫福は隠れキリシタンの里なのです。
興味を持たれた方には福栄おたからマップの入手をお薦めします。
紫福ふれあい市たたら案内書の前に史跡案内の看板もあるのですが、萩市紫福支所に行けば「福栄おたからマップ」をもらうことができます。
福栄おたからマップには隠れキリシタン伝説トレイルってのがありましてAブロックの①②③と三位一体像がお薦めになっています。
上記マップ①の長久寺さんは鍋山からも近く行きやすいです。②鉄心寺跡と③キリシタン祈念地、それから三位一体像は車を停めるところがありません。
なので長久寺さんに来てみました。
長久寺さんの宝篋印塔には手を交差した石像があります(画像センター茶色)。この塔にならんで子供を抱いた地蔵(左)と観音石像(左端)があります。
「この観音様の姿はさながら聖母マリア像を想像させます。」との解説が福栄おたからマップにあるのですが、嗚呼、マリア観音像様が左に見切れてしまいました。
ズームしてみるのですがマリア様が子供を2人抱いているのか天使が舞ってるのかよく分かりません。
しもた。タイミングをみてまた行ってみよう。
こちらは、むかし仕事で紫福に来た時に見つけた佛光寺さんの楼門。佛光寺さんは元紫福小学校の奥にあります。
佛光寺楼門は「五台山佛光寺文殊堂が再建された寛文年間(1661~1672)頃に建立されたと思われる。形式は木造入母屋造茅葺で桁行3.8m、梁間3.0mである。4基の礎石には、紫福の地頭であった見島氏の名が入った墓石が使われている」とのこと。
茅葺(かやぶき)ってのが時代を感じていいじゃないですか。よーく見ると梁の上に猫が据えられてたりするんです。写真は載せませんけど。ふふ。行ってみたくなるでしょ。
毛利家ゆかりのお寺さんということで毛利の家紋も見えますが、実はこちらのお寺さんにも隠れキリシタンのお墓があったりします。
キリスト教を迫害していた毛利がお墓に気が付かなかったのか。いやそんなはずはない。じゃあ分かっていてお目こぼしをしたのか。そこいらを調べるとまた誰も知らなかった歴史を掘り起こせそうな気がして楽しいですね。
そんな余韻を残しつつ、萩市紫福の鍋山と隠れキリシタンのお話を終了します。
それじゃまた来週。