あちー、あちー。夏日に暑いと嘆いたところでいくらも涼しくなりゃしない。そうだ!滝に涼みに行こう。
思い立ったが吉日で近場の滝を検索し、山口市の仁保に「犬鳴の滝」にやってきた。ここはちょっとだけ土地勘があるんだ。
犬鳴の滝 入口付近
地図で調べると犬鳴の滝は、道の駅仁保の郷から山側に入った夢の椀プールの近くから入れるようだ。 夢の椀プール には駐車場もあったはずだぞ。
仁保の夢の椀プールは川の水を引き込んだ河川プールだ。山口市にはこの夢の椀プールと小鯖の鳴滝の上にも河川プールがある。いくら山口市が田舎と言っても河川プールってのはちょいと珍しく、子供が小学生の頃に「河川プールで遊んでみようぜー!」と夢の椀プールに連れてきたことがある。少しだけ土地勘があるってのはそういうこと。
この夏、夢の椀プールには「新型コロナウイルス感染拡大防止のため河川プールは利用できません」の看板がかかっていて、駐車場はガラ空きだった。まあ、安心して車が停められるから滝を目指す僕にとっては悪いことでもない。
夢の椀プール手前20mあたりの道路脇に、犬鳴の滝の入口を示す看板があった。犬鳴の滝の伝説を書き写しておこう。
伝説 犬鳴の滝
仁保自治会
その昔、愛犬を連れた座頭さんが阿東の篠目へ行く途中、道を間違え夕暮れの渓谷へ入っていった。細い山道を登りながら、さしかかった滝の上で足を滑らせ滝壺へ落ちて亡くなった。主の死を嘆き悲しんだ犬は、三日三晩鳴き続けたのち、主の後を追って滝壺へと飛び込んでその命を断った。その頃から村人の間で「犬鳴の滝」また「狗犬渓」と呼ばれるようになった。今も滝の水音には犬の悲しい泣き声が聞こえる…といわれている。
確か石柱渓にも愛しい女性を追って命を絶った武家の話があったなあ。僕的には死んで花実が咲くものかと思うけど、滝にはこういう謂れが多いんだよね。まあ、伝説を知ってしまった以上は、忠犬に思いを馳せつつ滝を行くことにしよう。
看板を見ると、ここは「やまぐち森林づくり県民税」を使って遊歩道(犬鳴散策道)が整備されているようだ。秋穂の臼美歩道なんかもそうだったな。やまぐち森林づくり県民税、大活躍やね。
ルート図によれば、多目的広場から左に進み、竜宮淵・山頭火句碑 – 瞑の淵 – 潜竜洞 – 犬鳴の滝 – 夫婦滝 – 曲水の滝 – 県道引谷篠目線 – 展望所を経て、下山時は特に見るものなしという感じだ。
ほー、こんなところに種田山頭火の句碑があるんだねー。種田山頭火は自由律俳句で有名な漂泊の俳人。あちこち徘徊しまくってるだけに山歩きに合う句を多く詠んでいる。そんなわけで今回の記事では種田山頭火をfeaturingしていこう。
犬鳴の滝へ
入口に立てられた看板を十分に読み込んでから森に入っていくと、右手に広場が見えた。これが多目的広場だな。舗装路の左は沢になっている。きっと仁保川に繋がっていくんだろう。
少し進むと竜宮淵に橋が架かっていた。水気が多いせいかこの辺りから目まとい(小さなハエ)が顔の周りを飛び回る。僕は眼鏡をかけているので虫が目に入ることはないけれども、耳元の羽音がブンブンと煩わしい。いちいち手で払うのも面倒なので、タオルを頭からかぶって耳を覆いその上から帽子を被るというおじさんファッションに移行した。誰に見られるわけでもないので問題ない。
橋の上から撮った竜宮淵。竜宮と言うほど竜っぽさもないが、実はこの先の沢の真ん中あたりが龍の背のように尖った岩がつながってるので、そちらが竜宮淵なのかもしれない。写真は残してないけれど。
沢や淵よりも気になるのが、橋の向こうに見える石碑。種田山頭火の句碑だろう。近づいて見てみよう。
なるほど、なるほど。まったく読めないね。
ちゃんと裏側に説明が付いてるんだ。ありがたいねえ。
漂泊の俳人 種田山頭火は昭和八年七月二十八日、この地を托鉢。一泊して徳地へ向かった。道中多くの句を残したが、ここに刻んだものは、生前親交のあった和田健所蔵の短冊による山頭火の直筆である。
仁保地域開発協議会
分け入れば水音
平成八年三月吉日 建立
「分け入れば水音」か。今日のタイトルにいただきだな。
種田山頭火の句碑からコンクリ道を上がっていくと、瞑の淵の看板が現れた。竜宮淵同様にここの看板は少し早めに出てくるようだ。看板から更に進み、岩を回り込んだところがこの光景。切り立った岩の横を水が流れ落ちている。
岩かげまさしく水が湧いてゐる(種田山頭火)
山頭火がこの地で読んだ俳句じゃないが、どうだい、ピタッとくるものがある。山頭火、良いねえ。
ちなみに写真右の大岩にはところどころ穴が開いててとても雰囲気があるのだけど、「その昔、一獲千金を夢見た鉱山師らがこの付近の岩場を試掘した跡が数か所にわたって見られる」の看板があるので、それほど歴史の古い穴でもないようだ。
犬鳴の滝
道なりに進み、舗装路が終わって、潜竜洞と書かれた看板を見つければ、その先が犬鳴の滝だ。ちなみに潜竜洞はどこかなと探したが分からずじまい。次の写真の左上に少しだけ見える穴かもしれないし、仏様が祀ってあった穴のことを言っているのかもしれない。
潜竜洞には「龍が棲んでいて、夜な夜な滝を登り小河内の奥にある竜野岳頂上から雲を呼び天へ昇っていった」という言い伝えがあるそうで、これがそうか!と見てみたかったのだけど残念。
潜竜洞の看板から数m奥に進めば犬鳴の滝を眺めることができる。うん、なるほど。足元は水遊びが出来そうな岩場で気持ちが良いけど、滝が遠くて水しぶきも飛んでこない。今日は風もなく、あまり涼しい場所じゃないなあ。
水音は聞いたけどまだあまり分け入ってない気もする。奥に進めば滝に近づけるのかもしれない。行ってみよう。
※ 山から下りて看板を見直して気が付いたが、実は滝に向かって右に上がって行ける道があったようだ。そちらに進めば滝に近づけたらしい。見落とした。
犬鳴山へ
さて、犬鳴の滝からどちらへ進めば良いのかと周りを見回したら、潜竜洞の看板の向こうに山を登って行く道を見つけた。最初に見たルート図では左に進めば滝を見て回れることになっていたのでこの道を行けば良いのだろう。鋭角に折れるので分かりにくいが、見つけてしまえば確かな道だ。
山道の登り口に仏様がいらしたので手を合わせて入山の挨拶と旅の安全をお願いしておいた。
滝に涼みに来たはずなのだけど、結局、山に分け入ってしまった。正にどうしようもない私だが、道がよく切り開かれていて見所も多いと言うのだから仕方がない。
頁岩の破片の上に小枝が乗って足元はあまり良いとは言えないけれども、明るいので一人でも怖くない道だ。
眼下に夫婦滝を見てさらに奥へ進む。この先にあるはずの曲水の滝についてはあまり記憶がなく、看板もなかった気がするが、たぶん見落としかボケてたんだろう。
沢の真ん中に木の橋が渡されていて、このあたりで2度、3度と生あくびが出てきた。夏山を歩いているとよく生あくびをするけれども、これは脱水症状の前触れらしい。
我にかえって体を見ると、ズボンは腰から汗で色が変わっているし、シャツもベトベトに張り付いていた。さらに家を出てから水を飲んでないことにも気が付いた。
風もなく湿度も高い日に沢沿いを歩いて上がってきたのだ。ちょっと山を舐めてたかも。
木陰に避けてぬるくなった麦茶を飲む。体を冷やしたほうが良いかと思いなおし、サーモスの氷入りコーヒーで胃を冷やす。少し落ち着いたところで沢に降り、タオルを水に浸し、顔や首、わきの下を拭った。
頭に水をやると気持ちええええ。
秋吉台の奥の方に行ったときに、晴天に恵まれた丘の上から下界を眺めて、人影もなく、この素晴らしい世界全てが俺の物かーという気持ちになったことがある。お天気がよすぎる独りぼつちという句は、案外、寂しさの表現じゃないのかもしれない。
道はここから沢を離れ、山へと入っていく。道中省略して山頂近く。
このまま犬鳴山の山頂へ続くものと思っていたら、目の前に舗装路が現れた。
県道引谷篠目線だ。ここにも看板が設置されていて、舗装路を下って行っても夢の湾プールに戻れることが分かる。
足元もおぼつかないので下りは舗装路でも良いかなと、選択肢の一つに入れておいた。
引谷篠目線に出てきたところから右に鋭角に折り返して山頂方向へ向かえばすぐに展望所(犬鳴山山頂)に達する。
犬鳴山の山頂は狭くほとんど眺望もなかった。展望所というにはちょっと、ははははという感じだ。
クリ饅頭を冷たいコーヒーで流し込み、蛇の抜け殻をつつきながら煙草を一服。
ふう、落ち着いた。
お腹に何か入れば元気になるってのは不思議だね。
犬鳴山から下山
下りは舗装路という選択肢もあったが、体はもう大丈夫っぽい。山頂からの下山道を見つけてしまったのでこの道で行こう。
綺麗で楽しそうな道じゃん。
ところがこの下山道が思いの外ガレていて、おまけに相当な急坂で滑る。
すべつてころんで山がひつそり(種田山頭火)にならないよう、小幅なよちよち歩きで下るが、それでも所々で石車に乗った。
こんなところで腕でも折ったら大変だ。単独行は慎重に。慎重に。
種田山頭火はこんな情景の浮かばない句は詠まない(笑)
こちらの下山道はしばらく誰も歩いていないのか、十分な道幅があるにもかかわらず蜘蛛の巣の張りようが酷い。歩いてはかかり、歩いてはかかりだ。
こんな時は魔法の杖で前を払えばあら不思議、蜘蛛の巣はたちどころに消えてしまうのでした。
最初に入口で読んだ通り、下りはさして見るべき場所もなし。ガレで滑ることを除けば良いウォーキングコースだった。
ぐるっと一周、見るものも見たし、無事に帰ってきたしということで締めはこの句で。
けふはここまでの草鞋をぬぐ(種田山頭火)
種田山頭火について
仁保からの帰りに湯田温泉にある種田山頭火の句碑を写してきたのでこれも載せておく。なかなか大らかでワードチョイスも自由だ。
種田山頭火
種田山頭火のWikipediaを簡略化
種田山頭火(種田正一)は1882年(明治15年)12月3日、防府の大地主の長男として生まれる。11歳の頃、母親の自殺にあう。山口高校から早稲田大学へと進むが神経衰弱にて中退。実家に戻り父の始めた酒造を手伝うも、事業の失敗により一家離散。山頭火は妻子を連れて熊本へと逃げるが、やがて酒におぼれ市内で事件を起こして出家。得度後に寺を出、西日本を中心に徘徊する。山口市小郡に「其中庵」を結庵後も中部・東北地方へと徘徊を続ける。温泉が大好きで山口市湯田温泉街に「風来居」を結庵。その一年後に愛媛県松山市に移住し「一草庵」を結庵するも、1940年(昭和15年) 10月11日に脳溢血にて没。享年58歳。
かなり端折ったが上記が種田山頭火の生涯だ。山頭火は流転の人生を生き、虚無感に苛まれながらもへうへうと道の中に言葉を紡ぎ生涯を綴った。
生き方を知るとまた言葉の意味・重みも違って聞こえてくる。雨の日はお酒を片手に山頭火の句を眺めてみるのも面白いかもしれない。
全国新酒鑑評会で平成14年・15年・18年に金賞受賞。山口県のお酒「山頭火」は楽天市場でしか売ってない様子。
漫画の方が視覚情報を取り入れやすいかもしれませんね。
うれしいこともかなしいことも草しげる(種田山頭火)
それではまた。