今回は萩の田床山を登ろうと思ったのですが、その前に松陰神社と東光寺に寄って思いもかけず維新の旅になってしまいました。
長くなったので田床山は別記事にして、先に松陰神社と東光寺をまとめます。
田床山は東光寺の奥あたりから入れるようなので、東光寺に近い松陰神社をまず目指しました。
松陰神社の交差点横には結構な広さの無料駐車場がありますので、これで車は安心。
せっかくなので松陰神社をお参りしておきましょう。
松陰神社にお参り
松陰神社をお参りするなんて高校三年の春以来です。うっすらした記憶しか残っていませんから、初めての気分での参拝です。
うーん、なんかここは覚えてるかも。
高三の春は卒業していく先輩たちと自転車で萩を散策したのでした。指月城下の貸しボートにも乗ったから、一日で結構回ったんだなあ。
松下村塾からさらに奥に進むとご本殿。ここは記憶がありません。おじゃまします。
勧学堂は品川弥二郎の霊を祭祀したもの。
松陰神社はいわずと知れた吉田松陰先生が祀られた神社。
松門神社は松陰神社の旧社殿で、新社殿が遷座されたのちに松下村塾の門下生四十二柱(現在は五十二柱)を祀った神社だそうです。
それぞれしっかりとお参りしておきましたが、今から立身出世は叶うかな?
松陰神社から東光寺へは駐車場横の川沿いを1kmほど登ればOK。
東光寺にお参り
東光寺には初めての参拝です。東光寺は萩藩三代藩主毛利吉就が建立した黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院だそうで、吉就没後に毛利氏の菩提寺となり三、五、七、九、十一代のお墓が据えられているようです。
黄檗宗東光寺
細い道から車道に出るとドドーンと赤門がお出迎え。外からだけ見て田床山に行くつもりが吸い寄せられるように中に入ってしまいました。
ちなみにこの門、「赤門」で通じるみたいですが、正式名称は東光寺総門というそうです。これ以降も大きな門や建物が続きますが「明代末から清代初めにかけての黄檗伽藍様式のもの」とパンフレットに書いてありました。明=赤のイメージがあるので納得です。
受付で拝観料300円を払って先に進むと東光寺三門が見えます。大きいなあ。かかっている額号は難しくて読めませんでした。二階に上がれる構造ですが、公開はされていない様子です。
三門のだいぶ向こうに大雄宝殿が見えます。道の途中に鐘楼があったのですが、写真を撮り損ねました。残念。
大雄宝殿、正面からは立ち入り禁止ですが右から回り込めば軒下まで行くことが出来ます。それにしてもここまでに見た建築物がどれもこれも大きくて規模感がおかしくなってきます。ここは奈良か?
道を回り込んでお堂の前まで来ました。十分にご挨拶をし御簾の端から中をのぞき込みますと、ご本尊の釈迦牟尼仏様が正面にいらっしゃいました。黒くてひかえ気味な外観に比べ、豪華絢爛な内部。天井も高く、山口県にこんなお寺があったなんてと本当に驚きます。
あ、今、一つ思い出しました。東光寺を歩いたこの日は湿度が高く、とても蒸した日だったのですが、なぜか御簾の前だけは涼しかったんです。汗がすっと引くような優しい良い風が吹いてました。
四大夫十一烈士の墓
大雄宝殿を右から奥に進みますと四大夫十一烈士の墓、そして毛利の廟所があります。
大雄宝殿横を通り、鬼瓦を見上げて、さらに奥へと進みます。
四大夫十一烈士の墓は、禁門の変や下関戦争の敗北の責任を問われ自刃または処刑された尊王攘夷派(急進派)の重鎮、身をもって難に殉じた藩士の慰霊のために明治29年に建てられた墓所だそうです。
お、周布正之助を発見!
周布正之助は高杉晋作あたりの本を読んでると出てくる酒癖の悪いおじさん、いや長州藩執政です。
江戸末期の長州は尊皇攘夷を拠り所に、松下村塾で学んだ多くの若者らが倒幕運動へと傾倒していったのですが、周布正之助は藩論統一のために攘夷に賛成しつつ若い藩士を抑えていました。
しかし、急進派の起こした禁門の変(1864年8月)での敗北をきっかけに、幕府恭順派(俗論派)が実権を握ると周布らは失脚。周布は若い藩士の暴発を抑えられなかったことに絶望し同年9月に自刃しました。
ちなみにですが、同年12月、高杉晋作らが絵堂の戦いで恭順派を破ると、再び主戦派が政権を取り戻し藩論は武備恭順へと転換。勢いをかった主戦派が長州一次征伐・二次征伐を退けると幕府の権威は失墜し、これが大政奉還へとつながっていくのでした。
あと少し待っていれば。。。
周布正之助の墓には山口矢原・享年43歳とありますが、自刃は今の山口市幸町です。そのお隣には周布町なんて町もありましてうちの近所なんです。
毛利氏廟所
周布正之助の墓から右を向くと、毛利氏の奇数代が眠る廟所が見えます。
門をくぐると石道が三又に分かれます。わずかに傾斜のついた石道のそれぞれの突き当りに鳥居が建てられ、その奥にお墓がありました。鳥居へと続く道の左右には五百基余りの灯篭。
すべてのお墓に手を合わせてお参りをしたのですが、森厳な霊域で近景での撮影ははばかられました。
完全に雰囲気に飲まれてました。
どれもこれも規模が大きすぎるんだよ!
田床山に続きます。