小島山はかつて島だった?ポンポン山の秘密に迫る

小島山はかつて島だった?ポンポン山の秘密に迫る
小島山・ポンポン山
小島山・ポンポン山

佐波川の河口近く、佐波川と横曽根川の合流地点に小島山という小さな小さな山があります。

なんでも山頂で飛び跳ねると足元からポーンポーンと音が鳴り響くらしく、地元ではポンポン山の愛称で親しまれているとか。

面白そう!

小島山に行ってみる

国道2号線から分かれて防府市街地に進む佐波川大橋(ホテルAZのところ)の手前を海側に降りていきます。

なんで川の合流地点に山が?
なんで川の合流地点に山が?

なんで川の合流地点に山があるんだろうなーと不思議に思いながら堤防を下ります。

小島山の手前には立派な駐車場がありまして、なんと駐車場にはトイレまでありました。

鳥居もありました
鳥居もありました

小島山には鳥居もありまして、こちらいったいどなたが祀られているんでしょう。

それにしても全体が岩っぽいゴツゴツした山です。名前が小島山なだけに元々島だったのかなあなんてこの時点でうすうす感じていました。

小島山を登ってみる

小島山は本当に小さな山なので15分程度ですべての道を巡れます。

山頂まで階段が続く
山頂まで階段が続く

僕は途中で右に折れ周回路に回りましたが、この階段は山頂まで続いています。

佐波川を振りかえる
佐波川を振りかえる

階段から後ろを振り返ると、一級河川の佐波川と堤防、堤防の横に田んぼが広がっています。

山頂の物見台
山頂の物見台

ぐるっと回って裏側から山頂に入り最初に目にしたのは物見台。荒れてはいますが小島山は公園として整備されていたんですね。

百五十年記念ってなんだ?
百五十年記念ってなんだ?

小島山の山頂にも鳥居がありましたので、表に回りなおして正面からご挨拶することにしました。

小島山山頂の鳥居
小島山山頂の鳥居

正面から挨拶をした後で写真を撮影。お参りさせて頂いたものの結局どなたが祀られているのかは分かりませんでした。

さてそれでは本日のメインエベント。山頂でのジャンプです。「ちょっとお騒がせしますね」と祠に声をかけて跳んでみました。

広場でジャンプしてみた
広場でジャンプしてみた

それポーン!あれ?鳴りません。

ポーン、、、ガンガン、ドスン!

鳴りません。

信心が足りないのかもしれません。

あ、そうだ。小島山には三等三角点もあるようです。ポンポンに夢中で見落としました。

ついでに残り半周
ついでに残り半周

小島山は中層をぐるっと回れるので残り半周も歩いてみることにしました。

あまり歩かれてないのか
あまり歩かれてないのか

残り半周部はあまり歩かれてないのかなかなかの険しさw

ともあれ歩ける道はすべて歩いたので良しとしましょう。

小島山はやっぱり島だった!?

最初の鳥居に降りてくると「撫育の碑」の裏側に何やら書かれているのを見つけました。

撫育の碑の裏に漢詩
撫育の碑の裏に漢詩

藩政窮乏三白政治 潮止完工撫育局
文政十一年春弥生 三十六町小島開作
辛酸風雪百五十年 往時蒼海変美田

藩の財政が窮乏したので政治的措置で米、紙、塩の増産が決まった。撫育局が潮止工事を進め文政十一年三月に小島開作は三十六町にもなった。百五十年間色々あったが昔蒼かった海は今では立派な美田となっている。

これでだいたい合ってるんじゃないかと思います。この詩のポイントは撫育局ですね。関ケ原の戦いで減封された長州藩は特別会計(=増税して貯めた裏金っぽいです)を使って米、紙、塩の生産向上に努めたそうですが、それを推し進めた部局が撫育局なんです。
だとすると祀られてるのは毛利家かもしれませんね。

撫育の碑
撫育の碑

佐波川と横曽根川に挟まれた浅瀬を小島に向かって潮止工事が行われ小島開作が生まれたと考えるのが自然ですから、やはり小島山はかつて島だったということでしょう。それでなきゃ川と川の合流点にいきなり山なんか生まれませんもん。小島山って岩礁っぽいし。

小島山と干拓地
小島山と干拓地

僕的納得です。あとは山頂がポンポン鳴りさえすれば…

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