元旦に山口大神宮へお参りした際、鴻ノ峯の登山口を見かけました。「これは呼ばれてるんじゃないのか?」と感じたのでさっそく連休の間に登ってきたのですが、山頂付近で龍を見つけたのでこいつは目出たいと取り急ぎレポートします。
山口大神宮
今回の登山口は山口大神宮です。大内義興がお伊勢さんを勧請した山口大神宮。西の伊勢参り、山口参宮として古くから県内はもとより中国地方や九州からの参拝が多いといわれる山口大神宮。鴻ノ峯の話に入る前に軽く触れておきましょう。
石鳥居から入って石段の途中にある山口大神宮案内図。階段を登ったら神楽殿を右に。二つ目の鳥居をくぐって外宮、ぐるっと回って内宮があることが分かります。外宮・内宮のそれぞれ隣が空いているのはお伊勢さんと同じく山口大神宮では式年遷宮があるからです。
この案内図のもう一つのポイントは左上に鴻ノ峯が描かれていること。あと途中に岩戸社があるところも要チェックです。後から行きますから。
石段を上がりきったところにある神楽殿(かぐらでん)、お正月はここに大きな賽銭箱が置かれるもんだからみんなここで手を合わせて帰っちゃう。
垂れ幕に五七桐があったりするのでありがたみはすごいのですが、厳密にいうと神楽殿は神楽を奉納するための場所だし、せめてその反対の多賀神社様くらいは手を合わせて帰ろうよねと思ったりします。
二つ目の鳥居をくぐって外宮・内宮へと向かいます。階段の途中に灯篭があるのですがここにも五七桐。さすが皇室御用達のお伊勢さんを勧請しただけのことはあります。
伊勢神宮はヤマト王権の誕生すなわち皇室の始まりと深く関連しています。ご興味がありましたら古事記か日本書紀に関連した書籍をご覧ください。王権の成り立ちや記紀の解釈には様々な見方がありますのでお薦めは割愛いたします。
そしてこちらが内宮。
シックで素敵な神明造ですなあ。
男神を祀った神社は大社造、女神を祀った神社は神明造と聞いたことがあります。大社造というのはお社を正面から見たときに屋根の形が「大」の字になってるもの。出雲大社を頭に浮かべてみてください。それです。それが大社造。一方、神明造は写真のように「大」が横になった形でひさしが手前を向いてるんですね。
お伊勢さんの御祭神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)で、みなさんご存じの通り伊弉諾尊(イザナギノミコト)の左目から生まれた太陽神。女神様です。なので神明造と。ふむふむ。
あと神代の時代の神様を祀った古い神社には千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が屋根についてたりします。上の写真もそうですね。千木は屋根の端っこに天に向かって突き出した柱で祭神が女神の時は内削ぎ(水平に切られている)になっていると聞いたことがあります。
なるほど山口大神宮の内宮はバッチリ女神さま仕様ですね。
山口大神宮の外宮も神明造ですが千木は外削ぎ(垂直に切られている)です。外宮の御祭神は豊受大神で食物・穀物を司る女神のはずなんですが…まあ、これは伊勢神宮に合わせてのことなのでしょう。
今回調べてみたら「祭神が男神の社は外削ぎ女神の時は内削ぎになっているというのは俗説で神社本庁の公式見解では必ずしもそうとは限りません」だそうです。
勉強になりました。
さーて長々と書いてまいりましたがそろそろ鴻ノ峯へと参りましょう。
鴻ノ峯の登山口は外宮のほぼ正面にあります。
この看板めっちゃ新しいね。
鴻ノ峯
鴻ノ峯へは木戸神社側から登ったことがありますが山口大神宮側から入るのは初めてです。4年前くらいに鴻ノ峯で出会ったあんちゃんは「きつい」と言ってましたが、登ってみると何のことはない参道でした。
サクサク行きます。
岩戸社への参道
何が祀られているか分からない大岩。天の岩戸(あまのいわと)かしらとか思ったり。その向こうは壊れかけのお稲荷さん。
山道かなーと思ったら普通に参道でした。石段を登っていく途中に〇〇大明神の石柱がいくつも現れます。
天明五乙巳九月吉祥日と読める壊れた鳥居。天明五年は1785年。江戸時代で田沼意次のころですね。「白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき」とか高校の日本史で習ったアレの人。
それよりも天明といえば「天明の大飢饉」。この鳥居は神仏にすがる思いで建てられたのかもしれません。寄進したのは右に掘られた新立小路日参講中。今も残る地名、下竪小路字新立と関係あるのかな。
石垣と思わしきものを越えたあたりが開けてまして下界の景色がよく見えます。その先に鳥居が現れました。おっ!千本鳥居か!と思ったら十本鳥居ですぐに終わり、その先におられたのが正一位國龍稲荷大明神様。龍の字が入っていますが「登り初めの鴻ノ峯で龍を見たよ」とは関係ありません。軽く拝んでその先へ。
石垣に挟まれた幅のせまい苔むした階段。ちょいと歴史を感じる階段を登っていくと正面の岩に洞穴がありました。
山口大神宮案内図にあった岩戸社です。神話の天岩戸に由来し岩窟の中に天照大御神、入口に手力男命が祀られているとのこと。近くまで登って手を合わせておきました。
さて、岩戸社からは右にも左にも行けそうです。左にはピンテが見えるので正規ルートは左と思われますが、ここまで登ってくる途中、右手に大岩と鳥居が見えました。あれを見逃す手はないなと右に取ります。
こちらの洞窟はお狐様のようです。残念ながらお名前は(どれだか)分かりませんでした。なにせここら一帯正一位の大明神だらけなもんで。
正一位は神階の最高位。神社の正一位だとありがたみがありますが、お稲荷さんだとちょっとねー。というのが後鳥羽天皇が伏見稲荷に行幸された際に「伏見稲荷を勧請したら正一位を名乗っていーよー」なんて言ったもんですから、もうどこもかしこも正一位の大安売り。やっぱ貴重だからありがたみがあるっていうかね。モンドセレクションじゃないんだからみたいな。
「たぶん正規のルートは岩戸社から左だろうなー」と思いながら、右に続く道があったので行けるところまで行ってみました。あんまり道っぽくないところもありましたが、ふだん山を歩いてる人なら行けちゃいます。下りは正規ルートを通ったのですが正規の方が勿論歩きやすいです。
右ルートでたどり着いたのは見覚えのある看板のところ。これ高峰城について書かれたよく知られている看板(の裏側)です。ここはNHKの電波塔の近くにある広場で、右ルートでも左ルートでも結局ここに出てきます。ちなみにこの広場までは木戸神社から車でも入れます。離合は難しい細い道ですけれども。
高峰城跡へ
この先、高峰城跡までは歩いたことがあるので本当にサクサクと。
NHKの電波塔から主郭(山頂)までは500m、郭跡から主郭までは200mです。
主郭手前の分岐は右にとって、先に石垣を見に行きました。
高嶺城の築城は大内氏最後の当主大内義長により開始。義長は毛利に葬られたものの高嶺城の築城は毛利氏が継続し完成しました。廃城は1638年。毛利が萩に追いやられたことと一国一城令が効いてますね。壊されたのが近世ですから、中世山城としては石垣も結構残ってる方かもしれません。
石垣を登ろうかと思ったのですが「文化財を大切に」との看板があるので分岐まで戻って正面から入りました。
めちゃめちゃ奇麗に掃除してあるせいか山頂が広く感じます。鴻ノ峯ってこんなに緩くて奇麗で楽勝な山でしたっけ。年明け早々いい気分。こうして下界を見下ろすと「山口取ったどー」な気分になれました。
今日のルートは山口大神宮から鴻ノ峯まで。以前、地のおじさまから「大神宮ルートにはくぐり岩があるよ」と聞いていたので、あっちかこっちかと探してみたのですが見つけられませんでした。聞き間違えだったか記憶違いか。
くぐり岩があれば天照大御神の真似をして「あら素敵な音楽と笑い声。一体何かしら。」と穴から顔を出そうと思っていたのですが。残念。
登り初めの鴻ノ峯で龍を見たよ
おっと忘れてました。今日の主題の「登り初めの鴻ノ峯で龍を見たよ」です。
鴻ノ峯の石垣の近くには井戸がありまして手押しポンプが据えられています。手押しポンプは大正以降のものなので戦時に据えられたか近年水質調査でも行ったか。
それでさ
このポンプよーく見てみて
DRAGONって刻んであるよ
正月に大神宮に参ったら鴻ノ峯の登山口を発見して、導かれるように鴻ノ峯に登ったら龍を見つけちゃった。というわけでこいつは春から縁起がいいわいわいというお話でした。
本年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。