秋の津和野城でるるぶ

秋の津和野城でるるぶ

紅葉を見に津和野までドライブ。秋の津和野城でるるぶしてきました。

太鼓稲荷神社
太鼓稲荷神社

津和野といえば太鼓稲荷神社。秋晴れの空に神社の朱色が映えます。
境内をぐるっと一回りしてたくさんのご縁を頂いてきました。
津和野に行くときは5円をいっぱい持って行った方がいいみたいです。

秋の津和野城でるるぶ

中国自然歩道 津和野城
中国自然歩道 津和野城

太鼓稲荷神社の大鳥居をすこし降りたところに津和野城へと続く中国自然歩道の入口があります。
太鼓稲荷は海抜213.6m、津和野城は標高347.47m(三角点より)なので高低差は130mくらい。
津和野城までの距離は1kmです。行ってみましょう。

中国自然歩道でるるぶ
中国自然歩道でるるぶ

今日は女房と一緒。紅葉を眺めながらコンクリの遊歩道を散歩です。女房はちょいと足が悪いので登り口にあった杖を使っていますが、それでも途中のベンチで一休憩くらいでお城まで登れました。

津和野城跡観光リフト
津和野城跡観光リフト

中国自然歩道で津和野城を目指すと観光リフトに2度出会います。1度目はここを手前で折り返し。つづら折りをめぐって2度目はリフトの下をくぐるようになります。
下から手を振るとリフトに乗ってた子供たちが笑顔で応えてくれてね。
こういうのも旅の楽しみの一つです。

津和野城まで歩いて上がる自信がなければこの津和野城跡観光リフトを使うのも良いでしょう。
乗り場は太鼓稲荷神社に上がる坂の途中にあります。チケットは往復700円。

稜線に到着
稜線に到着

稜線に到着し右手を見ると何やら石垣が見えます。城跡のようです。行ってみましょう。

三本松城出丸
三本松城出丸

出丸は本丸の北側にあって中世津和野城主であった吉見氏によって構築された。江戸時代になって坂崎直盛によって石垣が築かれ、織部丸、中入丸ともいわれた。周囲は塀で囲まれ、南東澄人北東隅に櫓が設けられていた。現在は石垣のみが残る。

津和野城跡を歩いていると三本松城という名前をよくみます。三本松城は室町後期(戦国時代)までの津和野城の呼び名だそうで、その頃はいわゆる中世山城だったようです。関ヶ原の戦い後、東軍に属した坂崎直盛が入城し近世城郭に大改修したとのこと。

出丸
出丸

出丸は坂崎直盛ではなく弟の浮田織部が築いたと書かれています。それで織部丸と呼ばれるんですね。
城壁を登った先は広場になっていました。上の写真の出丸にふさわしい広さ。
があいにく写真を撮り忘れてしまいました。今日はるるぶなんで話に夢中でね。

出丸から本丸に移動開始
出丸から本丸に移動開始

左手に青野山、眼下に津和野の城下町を見ながら移動を開始。
出丸から本丸までは280m。いったん下って再び登ります。

立 津和野の街もまあまあ石州瓦やね
妻 なんなん?
立 通常の瓦には小さな気孔があってそれが雨を吸って温度調節の役目を果たすんだけど、雪が降って穴の中で水が氷ると割れとかヒビができて傷みが早まるんよ。でも釉薬を使って赤く焼き上げた石州瓦には気孔がないから凍害が起きにくいってわけ。なので雪の積もる寒い地方は石州瓦が多いんよ。
妻 ふーん

女房は瓦には興味がないようです。

史跡津和野城跡看板
史跡津和野城跡看板

いったん下って本丸の下まで来たところに国指定史跡津和野城跡の看板。津和野城の歴史を一番つかみやすい看板でした。ちょっと長いけど丸写しで。

津和野城は標高362mの霊亀山(れいきさん)上にあり、山麓からの比高は200mを測る典型的な山城である。築城は吉見頼行・頼直が永仁3年(1295)から正中元年(1324)にかけて行ったと伝えれらる。吉見氏が築城した中世山城は、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)に3万石の大名として入城した坂崎直盛によって、高石垣を有する近代城郭へと大改修された。元和3年(1617)に因幡国鹿野城より亀井正矩が4万3千石の大名として入城後は、亀井氏11代の居城として明治維新まで続いた。 津和野城は、本丸のほかに出丸(別名:織部丸)がある一城別郭の城であり、その間に大手道を設けるなど極めて実践的な山城であった。かつては本丸。二の丸に三重天守と櫓があったが、貞享3年(1686)の雷火で焼失した後は再建されなかった。明治7~8年(1874-1875)に城の大半は解体されたが、現在も山上には段状に連なる壮大な高石垣が残っており、人力で行われた大土木工事の後を見ることができる。なお、津和野藩の藩庁は、城山の北東側の山麓にあった。

この看板から舗装路を50mくらい下ると近代的なトイレもあります。

東門と紅葉
津和野城東門と紅葉

いよいよ本丸。史跡津和野城跡の看板からほんの少し坂を登っていくと津和野城の東門にあたります。差し込む日差しと紅葉が奇麗ですねえ。

城壁の崩れか分かりませんが、現在東門を通ることはできず架設された階段を登って入っていきます。

三本松の城
三本松の城

「三本松城は、高石垣・瓦屋根・天守閣を備えた典型的な近世の山城であった。左側の石垣は天守閣を支えた石垣だったが、貞享3年(1686)雷に打たれて天守は焼失した。」

天守閣を支えた石垣
天守閣を支えた石垣

その天守閣を支えた石垣というのがこちらです。城壁を見たら角を指さして「壁面は荒いですが角はなかなか見事な算木積みですな。」とか言っておけば通っぽくて格好いいのでお薦めです。

算木というのはジェンガの棒みたいな形。よく見ると石垣の端っこだけジェンガのように長辺短辺が交互に組み合わされてるでしょ。これを算木積みと呼ぶんだそうです。僕もこの前知ったばかりだけどね。

津和野城本丸の造り
津和野城本丸の造り

津和野城の本丸はなかなか複雑な造りです。台所があって一段上がったところが天守台でもっと高いところに三十間台。天守が一番上じゃないんですね。珍しい。
そして三十間台から少し下がったところに人質郭。その下が三の丸。三の丸は横にずいーっと伸びてます。

天守台の石垣の下
天守台の石垣の下に紅葉

馬立・台所・海老櫓軽く巡り、天守台下の石垣を回り込むと紅葉が続く道。この先の石垣が途切れたところを左に上がれば天守台です。

津和野城三の丸へ
津和野城三の丸へ

天守台に進む前に景色の開けた三の丸へ。足の向くまま気の向くまま。だって今日は登山じゃなくてるるぶですから。

津和野城の三角点
津和野城の三角点

登山じゃないけど三角点を見つけると心が躍るのは悪い癖です。なぜ山のトップに置かないのか分かりませんが三の丸の真ん中に三角点を発見しました。

等級種別 四等三角点
冠字選点番号 斗21
基準点名 津和野城
標高(m) 347.47

基準点名が霊亀山じゃなく津和野城でなんだか安心しました。四等ですもんね。

南門
南門

三の丸の端にある南門。中国自然歩道はここから鷲原八幡宮へとつながります。鷲原八幡宮は道の駅の近くです。この先はいつか歩きます。今日はよし。

人質郭の高石垣
人質郭の高石垣

三の丸から戻る途中に人質郭の高石垣。上から下に流れるアールが美しいですねえ。しかし人質郭なんてなんでこんな名前が付いたんでしょう。美しいお姫様とか人質になったのかな。

天守台へ
天守台へ

いよいよ天守台へ。先ほどの紅葉を上から撮ってみました。
だってるるぶ(略

そういえば、天守台に登る途中に津和野城は整備されすぎてないところが良いなと思いました。東門の手前とかこの天守台に登る道とか、足元に瓦の破片が落ちてるんですよ。おそらく往時のものと思われますが、その瓦が石州瓦じゃないのがまた面白いじゃないですか。

期待の天守台は思っていたよりも狭く見るところもなくすぐにその上の三十間台へ。やっぱり天守がないと景色しか楽しめませんよねえ。

三十間台と青野山
三十間台と青野山

三十間台、平らで写真のように開けた場所です。
女房はベンチに座って一休み。
目の前に青野山がドーン。

妻 あの山なに?
立 あれは青野山。粘性の高い溶岩がもっこり膨らんでできた溶岩ドームなんで中腹は急勾配、頂上付近は平坦地になってる。青野山火山帯を代表する単性火山やね。山容が乳房状って言われてるんで俺はおっぱい山って呼んでる。青野山は昔は妹山とも呼ばれてて柿本人麻呂なんかもおっぱい恋しいおっぱい恋しいって詠んだらしいよ。
妻 ふーん

うちの山の神は言うほど青野山に興味がなさそうでした。

ま、津和野城の紅葉が奇麗でよかった。
るるぶ。るるぶ。

追記 津和野城を歩くならStreet Museum

観光好き・百名城好きな方に朗報。僕は家に戻ってから気が付いたのですが津和野城を歩くならスマホにStreet Museumを入れておくとかなり良さそうです。

Street Museum 津和野城
Street Museum 津和野城

ストリートミュージアムはTOPPANさん提供の無料アプリで、史跡を往時の姿に復元したVR/ARをその場所で見ることができます。観光地に行くと透明のガラスに当時の建物を重ね合わせて見せる小窓があったりしますがあれのアプリ版ですね。

これは城歩きにはかなり有用だと思います。お城は戦火や明治の廃城令で石垣しか残ってないことが多いですから。スマホを向けるだけで往時の姿を見ることができるならきっと楽しいに違いありません。

お城のほかに遺跡などのデータも入っているそうです。観光によく行かれる方は入れておいて損はないでしょう。

たまにはデートも良いね。それじゃまた。

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