昔々、毘沙門山と呼ばれていた高倉山。800年代に大内茂村が高倉荒神社をこの山へ遷座し、高倉山に改名されたそうです。
その高倉荒神社も明治の神社合祀により山を降ろされ現在は山口市黒川閏の地にあります。
元高倉荒神社は今どうなっているのでしょうか。高倉荒神遺跡を見に行ってきました。
高倉山ハイキング
前回、平川の大スギから高倉山に入って道に迷ったので、今回は分かりやすい黒川河内から入りました。
取りつき
駐車場は事前に調べていたので一丁ため池の手前に停めます。ここには六地蔵もありました。
林道を進んでいくと左手に高倉山/願成寺跡/元荒神社跡の看板が出てきます。
ここから山道です。
取りつきは枯れ沢を登っていくのであまり道がいいとは言えませんが、沢を渡って山腹を回り込むようになると急に道が良くなります。
なんだか見慣れたプラ階段が出てきましてこれは中電の保安路だなーと、上を見上げるとやはり鉄塔がありました。
鉄塔1
高倉山登山では鉄塔がポイントになるのでとりあえずこの鉄塔を鉄塔1と名付けます。鉄塔1からの景色は平川方向に開けていました。
ここから振り返ると山の上に鉄塔が見えます。その鉄塔が次のポイントになります。
鉄塔1を過ごした後はやや急登。枯れ葉がたまっているので足元が滑りますが、この坂さえ越えればその先は山腹をめぐっていくようになります。
陽の差し込むきれいな道です。
鉄塔2
鉄塔1から見えていた鉄塔2に到着。
ここまで歩いてきた道はさらに奥へとつながっていますが、これを進むと下りに入るので気を付けましょう。僕はちょっとだけ下って方向が間違っていることに気が付きました(汗
高倉山はこっち方向だよなあと鉄塔2の広場をくまなく探したら右奥に高倉山へと続く道がありました。
おためし神事の岩
毎年、高倉荒神祭で行われる「おためし神事」とは、高倉山の大岩にあいた三つの穴に溜まった水の量でその年の稲作の豊凶を占うものだそうです。その大岩、見つけましたよ。
鉄塔2右奥の道を進むと大岩が出てきました。お!鎖場か。これを登るのか!と注意深く観察すると、どうも横にかかっているのは注連縄(しめなわ)っぽい感じ。
そうか。これがおためし神事の大岩か。そうなると素人がよじ登るわけにもいかないよなあ。
とりあえず良いものを見たなと満足して先に進むことにしました。
願成寺跡
おためし神事の大岩を過ぎたあたりは足元が細いのですがこれを回り込むと平らな竹林に出てきます。
後から調べたところ、どうやらこの竹林のあたりが願成寺跡のようです。琳聖太子が奉戴(ほうたい)して多々良浜に着いたという三宝荒神尊像を安置していた高倉山願成寺。現在は美祢市大田に再興されています。
この広場の端は山を削り壁のようになっていました。余談ですが、なにやら不思議な空間だなあということは肌で感じていたようで実はこの土の壁をよじ登ったんです。特に何も見つけられなかったんですが。
元荒神社跡
竹林を抜けると再び道が広がります。それがもう参道と呼んでいいレベルの道。なんでこんな山中に?
そしてその先に急坂。ロープを持たないと滑り落ちそうな急坂ですが、こちらもともとは石段だったというお話を聞きました。
左に石垣が現れ、この急坂を登り切ったら基礎石と階段がありました。
こちらが元荒神社跡。
せっかくなのでぐるっと回ってみたかったのですが、またも注連縄が見えますので正面からご挨拶するだけにとどめておきました。
これで目的としていた願成寺跡と元荒神社跡を見ることができました。
あとは高倉山の山頂を取れば僕的には大満足です。
高倉山
元荒神社跡の右から高倉山山頂を目指します。
しばらくは山道を歩きますが、高倉山の山頂付近でシダが登場。このシダが思ったよりも難儀です。
ずっとこの調子かなあとうんざりしましたが、思ったより距離もなく、シダゾーンを抜けてしまえばまた気持ちいい山道にもどります。
こうなれば山頂はもうすぐです。
高倉山山頂
はい、高倉山の山頂に到着しました。
高倉山の山頂からは景色がないとどこかで聞いた気がするのですが、ざっくり黒河内山方向と山口大学方向に開けていました。
そして高倉山の四等三角点。こちらは基準点名も高倉山です。「荒神山」の名前は黒河内山にあげちゃったからね。
黒河内山の基準点名「荒神山」にはなにか伝説があるんじゃないの?という疑問から始まった荒神三部作。高倉山に登ったことで僕の中ではいったんの区切りがつきました。
荒神伝説これにて完了です。
荒神三部作
高倉山で出会ったおじさまに「今山のしだれ桜が良いよ」と伺ったので次は今山に行ってみます。
お楽しみに。