「今山のしだれ桜は綺麗ですよ」
先週、高倉山の下山中に偶然出会ったおじさんからそんな話を聞いた。
河津桜は華美すぎるしソメイヨシノは食傷気味。だけど、山で見るしだれ桜となれば話は別だ。
「去年は3月20日頃が見頃でした」
さすが山屋はいい球を放り込んでくる。
しだれ桜はソメイヨシノよりも少し早く咲く。日中暖かい日が続いた三月半ばならばもう花が開いているかもしれない。
そんな淡い期待を胸に僕は今山に向かった。
なんつってーエッセイ風に始めてみた今回の記事、ここからは通常営業です。
平清水八幡宮
今山は、山口大学の裏の平清水八幡宮から入れるようです。平清水八幡宮は国指定重要文化財であるとともに吉田地区の氏神様でもあります。
山に入る前にまずは平清水八幡宮をお参りして、じっくりと拝観させていただきましょう。
山に入る前には地元の神様にご挨拶をしておくと良い感じだと僕は思うんです。人んちに行って「お邪魔します」って言うのと同じ感覚です。
で、礼儀も大事ですが、神社建築って見るところが多くてそこも好きなんです。例えば、狛犬って可愛くて格好いいじゃないですか。
神社ってホント綺麗ですよねー。そういえば拝殿に向かって左右に彫られた彫刻の獅子とか象とか竜とか鯱の口も狛犬と同様に阿吽の形になってるの知ってます?
これは狗留孫山の御坊の受け売りなんですけどね。
左右を見比べると面白いですよ。
ここでちょいと平清水八幡宮本殿の説明看板を読んでみましょう。拝殿からはうかがい知れない本殿内には、木造の狛犬と随身倚像が安置されているそうです。
写真が置いてあったので撮影しておきました。.
随身ってなにーって感じですよね。日本の神道において神を守る者として安置される随身姿の像のことを「随身」といい、この場合は随神とも書かれるそうです。お寺を守る仁王様みたいなもんだと思いますが、爺様と若者でワンセットなのが面白い。
随身像を見る機会はなかなかありませんが、僕の記憶が確かなら光市・田布施町をまたぐ石城山(いわきさん)には随身門があって生の随身を見ることができたはずです。
あと平清水八幡宮本殿の説明にあった蟇股。カエルの股みたいな形だから蟇股(かえるまた)。赤線が細くてごめんなさい。わかるかな。
これ、ただの装飾かと思っていたのですが、蟇股は上部の荷重を支えるために下方に開いた形の建築部材だそうです。構造的な意味があるんだあ。
平清水八幡宮本殿の蟇股は市内の寺社の中でも最も古風なものだそうで、外縁の蟇股には薄彫りがあると聞いていたのですが、んーよく見ても模様は分かりませんね。
屋根の反りが美しいなあ。いいものを見た。よし!今山に進もう。
今山ハイキング
平清水八幡宮左手の林道を奥に進んでいくと中国自動車道を越える橋がでてきます。今山ハイキングはこれを渡ってスタートです。
高倉山で出会ったおじさんは「橋を渡ったらすぐ左」とおっしゃってました。
うーむ。左と言われてもなあ。高速道路沿いにススキの茂る道が1本、山に入っていく良い道が3本。
こりゃいったいどの道を進めば良いんだい?
とりあえず、リボンが結ばれた左端の道を選択してみました。この道は、いかにも山へと続くような雰囲気がありますし、そもそも地図を読んできてないのでピンテに頼るしかないんです。適当でさーせん。
実はここの選択は最後にびっくりするような結末につながります。自分で書いちゃうけど伏線です。覚えておいてください。
選んだ道の取りつきは急登。松葉の溜まったふかふかの道を登っていくと、右手に山が見えました。感覚的にはあれが今山なのかな。
どの道が正解だったか分からないまま進んでいましたら、六丁目と彫られた丁石が出てきました。
これでちゃんとした山道に乗っかったみたいです。
この先は参道かなと思うような緩い山道がずっと続きます。
陽の差し込む綺麗な山道の写真がいっぱいあるのですが、変化に乏しいので一枚だけ載せておきます。
そして七丁目のお地蔵さん。
ゆるゆると登っているうちに広場に出くわしました。
その広場には、山頂に続くと思われるロープと「多聞寺あと」の道標。ここは迷うけれどもしだれ桜がある多聞寺から見に行きましょう。
多聞寺跡
「多聞寺あと」の道標から30mほど山腹を横切れば多聞寺跡に到着です。
石の手水に椿が落ちてなかなか風情があります。いやいや椿でお出迎えなんて格好良すぎるでしょう。
ところで山口市の今山の多聞寺とはなんぞやって話を先にしておかないといけません。
多聞寺跡(たもんじあと)
大内さとづくりまちづくり推進協議会
現在、この地に建造物はないが、山号を医王山、院号を善逝院という、真言宗の多聞寺が建てられていた。
大宝三年(703)大内茂村の創建といわれるが確証はない。
本尊は、薬師如来で越後の出雲崎の米山寺とともに、日本の三北面の薬師如来といわれたものである。
文化八年(1811)火災で一切の文書、寺宝を焼失したが、興隆寺文書によると、大内義隆は、天文十七年(1548)に、今山多聞寺を再建し、境内で酒宴を催したことなどが記載されている。古刹であったことがうかがえる。
仏像は、現在、神福寺(八幡の馬場)で管理されている。
前回の高倉山に続いてまた大内茂村の名前が出てきました。昔、この辺りにいっぱい寺社を移した人らしいですからね。あと神福寺さんはこないだの豆子郎さんウォークでちらっと見た気がします。確か自衛隊駐屯地の近く。時間があるときに行ってみます。
そんじゃ歴史が分かったところで今の多聞寺跡を見てみましょう。
多聞寺の遺構としては石垣と石段が残されています。古いものですがしっかりとして崩れた様子はありません。1811年の焼失を基準にしても200年以上前のものですよ。すごいっすね。
立ち入り禁止になっていないので石段を登ってみました。
石段の正面奥は崖になってて奥行きはありませんが、平らな場所なのでかつてここに本堂があったのでしょう。
栄枯盛衰、兵どもが夢の跡とでもいいましょうか、今はスライムが一匹住み着いているだけの寂しい広場でした。しんみり。
振り返って石段に立ち外の景色を見れば眼下に小京都ニュータウン。その手前に枝垂れ桜。この枝垂れ桜が咲き誇っていたとすれば、大内義隆の酒宴もさぞかし華やいだものだったことでしょう。
しんみりから一気に気分も爆上がりですね。
ただ、ちょっと来るのが早かったかなあ。
「今山のしだれ桜は綺麗ですよ。去年は3月20日頃が見頃でした。」という、高倉山で出会った方の情報はかなり正確だったようです。
今年は平地でも桜(ソメイヨシノ)の開花が遅れているようです。今年の今山のしだれ桜は3月の終わり頃が見頃なのかもしれません。
今山山頂へ
多聞寺跡を堪能しましたので、最初の看板があった広場へと戻りロープをつかんで今山山頂を目指しました。
目的としていた枝垂れ桜を見た安心感もあり油断をしていたのかもしれません。僕は、なんの根拠もなくこのロープを登ればすぐに山頂に着くのだと思い込んでいたのですが、今山の山頂はここから300mくらい先になります。
しかも急坂ありちょいシダありでなかなか困難な道が続きます。おまけにやっと着いたと思ったら頂上こっちの看板があったり。普段は偽ピークなんて慣れっこなんですけどね。やっぱ油断してたんでしょう。
ほんとかよー。ここ山頂じゃないのかよーとあたりを見回してみたものの他になんの看板もなく、ピンテを頼ってさらに奥へ。
偽ピの先の道はやや荒れており、一度降りてまた登りその奥に進むとやっと今山山頂に到着です。
いや大して遠くはないんですが油断大敵ってやつね。
今山山頂
今山山頂はほとんど景色もありませんし三角点を取りに行かなかったら多聞寺跡を見て帰っても差し支えないんじゃないかと思います。気持ちやられちゃってる僕の意見は参考になりませんが(笑)
今山の三等三角点は基準点名も「今山」で普通です。例によって大内茂村が山名を改名していたりするとロマンがあるのですが、今のところ話を広げられそうな逸話は見つかっていません。
さて、今山の三角点から先に光が見えたので行ってみると小さな展望所がありました。
たぶんこの方向は下小鯖。なので木の隙間から見える山は岳山だと思います。
ふーん。今日は、吉田から入って、小京都を左に見て進み、小鯖まで抜けたってことか。
大体の方角が分かって満足です。
降りましょう。
今山下山
下山時は余裕がありますので面白い発見がいくつかありました。
落ち葉が滑る
登りはまったく気にならなかったのですが、下りでは落ち葉の積もった坂が思いのほか滑ります。
その他にも落ち葉の下に隠れた岩に躓いたり蔓に足を引っかけたり。2滑り1尻もち。道がいいとついつい油断しちゃう。
おもしろい石
瀬戸内の山は「花崗岩です」って言っとけばだいたい間違いないんですが、今山はなんか違うみたいです。
手で引っ張れば薄くはがれる粒的には砂岩クラスの石。全体にキラキラ光る粒が入ってて堆積岩っぽいなーと思うんですが、中に石英の塊があったりします。
へーおもろーと岩を見ながら坂を下っていたら、実はそこかしこに石英の塊が入った岩を見ました。
花崗岩だらけの防府ともそんなに離れてないのに、一体どういう生成過程を踏めばこんな岩ができるんでしょ。
地球ってホント面白いわ。
通ってない道
これが今日の最大びっくり。七丁目のお地蔵さんから左に降りれば元来た道なのですが、綺麗な道がまっすぐに続いていたので直進してみました。
めっちゃ綺麗な山道を進んでいくと左に折れて下りに入りそこに二丁目のお地蔵さん。
二丁目のお地蔵さんを過ぎるとすぐに右に降りていく道。
七丁目のお地蔵さんを曲がらずに直進したのはその進行方向が中国自動車道を向いていたからなんです。
どこかで中国自動車道に当たるので山から出るはず。そう思ったんですね。
だからここまでは想定内。
そして降りてみたら、、、
どっしぇー!そういうことだったのか。
今山は橋を渡ったらすぐ左!
高倉山で出会ったおじさんが言われていた「橋を渡ったらすぐ左!」というのは、中国自動車道沿いの道を指していたんです。
このわずか先にある山道からでも今山にはつながりますし、普通、山歩きに来ててこの道は進まないですよねー。でも、この中国自動車道沿いの道を行けば今山・多聞寺跡登り口の看板に簡単に当たるんです。
きっとおじちゃん、一番歩きやすい道を教えてくれてたんだなあ。
不安のない登山道を歩けるので、僕も中国自動車道沿いから今山に入るのをお薦めしておきます。
「中国自動車道の橋を渡ったらすぐ左!」
サンキューおじちゃん!