宇部市の千林尼棚井山田石畳道

宇部市の千林尼棚井山田石畳道

宇部市厚東には千林尼(せんりんに)という曹洞宗の尼さんが残した石畳道があります。霜降山からも近いので、温見古道を楽しんだ後にちょっと寄ってきました。

千林尼棚井山田石畳道への行き方

千林尼棚井山田石畳道は二、三年前に歩いたことがあります。その時の記憶を頼りに探り探り行ってきました。

千林尼棚井山田石畳道への交差点
千林尼棚井山田石畳道への交差点

国道2号線から宇部駅に向かい一つ坂を越えて進んでいると写真のような交差点があります。
この交差点を右です。

千林尼棚井山田石畳道の道標
千林尼棚井山田石畳道の道標

白茶けてますが上記の交差点には千林尼棚井山田石畳道の道標があります。この先にも道標はあるので、メインの道をつき進めばそのうち二又(石畳道を入れると三又)に当たります。

舗装路二又
舗装路二又

左の坂が千林尼棚井山田石畳道の入口で、この右に舗装路がもう一本。二又になっています。
この二又の左手には大きな看板があるので、ゆっくり進めば見逃すことはありません。

この先、道路陥没
この先、道路陥没

直進の舗装路にはトラロープが張られ、「この先、道路陥没」の看板がかかっていました。こいつはラッキー!ロープ手前の道端に車を置かせてもらいましょう。
普段であれば写真に写っていない右の道のスペースに車を停めるのが良いかもしれません。まあ、車をどこに停めるかは自己責任で。

千林尼棚井山田石畳道

千林尼棚井山田石畳道は、船木の山田と厚東の棚井を結ぶ道です。ずっと石畳が続いているわけではなく第一から第五まで飛び飛びの石畳になっています。
説明看板で歴史をつかんでからスタートすると良いですよ。

史跡 千林尼石畳道
史跡 千林尼石畳道

千林尼は江戸後期から明治の人。托鉢して浄財を集め、宇部市・楠町・山陽町と近郊各地で土木公共事業を行ったことなどが書かれています。
それじゃ行きましょう。

第一石畳

第一石畳は坂を登ってすぐにあります。石畳道全体を通して綺麗に整備されているので歩きやすい道です。

第一石畳
第一石畳
どこに続くのかなドキドキ
どこに続くのかなドキドキ

以前歩いたときは第三~第五を往復したので僕にとってここは初めての道です。どこに続くのかドキドキです。

第二石畳

いったん車道を横切り千林尼の道が続きます。

第二石畳入口
第二石畳入口
第二石畳
第二石畳
落ち葉でよく分からないなあ
落ち葉でよく分からないなあ
登っていく遊歩道
遊歩道を登って
コンクリ橋を渡ると
コンクリ橋を渡ると
綺麗な登り道が現れ
綺麗な坂が現れ
ため池に出てきます
ため池に出てきます

このため池に以前来たことがありまして、ここから先を歩いたんです。
陥没で通行止めになっていた道が通れるなら、ため池の手前に車を停めるのが誰の邪魔にもならなくて良いのですが、でもそのおかげで第一石畳も第二石畳を楽しめました。人生万事塞翁馬ってやつですね。

お駒堤で休憩

お駒堤
お駒堤

このため池はお駒堤と呼ばれているようです。山口県ため池マップによれば、ため池としての名称は板ヶ迫なのですが、その呼び方だと途端に情緒がなくなるので「お駒堤」で覚えておきましょう。

お駒堤の休憩所
お駒堤の休憩所
堤を見ながらのコーヒーが旨い
堤を見ながらのコーヒーが旨い

天気もいい景色も良い。のんびりゆっくりとベンチでコーヒーをいただきます。今日は湖に癒される日だなあ。
十分に休んだので僕の大好きな場所へと進むことにしましょう。

醴泉(れいせん)はスルー
醴泉(れいせん)はスルー

醴泉の「醴」の字にはあまざけの意味があります。旅人を癒した甘い美味しい水が流れる醴泉(れいせん)、今回はスルーします。

第三石畳

第三石畳に入ります。軽いのぼりが始まって気持ちよく歩いて行けます。

第三石畳が見えてきた
第三石畳が見えてきた
第三石畳
第三石畳
日当たりのいい林
日当たりのいい林

第四石畳

前回は仕事で来まして山中にたまたま石畳を見つけてビックリしたのですが、その時に印象に残ったのがこの第四石畳です。僕は第四石畳の雰囲気が一番好きです。

第四石畳
第四石畳
いい感じの石畳
いい感じの石畳
道祖神にお供えを
道祖神にお供えを

村の入口によく見る道祖神、別名塞の神(さいのかみ)は邪悪な者の侵入を防ぐといわれています。
「昔ここを通る人は、この神に供物をしたが、供物がない時には、道端の小石でも供えた」とのことなので僕も石を供えておきました。
じゃ、邪悪じゃないですから…

ここから峠に入ります
ここから峠に入ります
曲がりくねった峠道
曲がり道くぅねくぅねー
峠の最高点
峠の最高点

この峠は斜度も距離もなくただ雰囲気だけ良いんです。簡単に山奥まできた気分に浸れます。

下り道
下り道
池の横を越えます
池の横を越えます

いい感じの峠を終えると左手上に県道が見えてきて段々と人里が近くなるのを感じます。

清掃工場の横を過ぎ
清掃工場の横を過ぎ
船木町の町境碑を見ます
船木町の町境碑を見ます

よく見ると「舩」の字で、下手くそな線彫りがまた味わい深い。と思ったのですが、船木町は大正の発足なので最近のものなのかな?

船木町の歴史
近世は、山陽道の宿場町、明治時代には、厚狭郡の行政・経済の中心地であったが、地元民の反対で山陽本線が町を迂回して開通したため、郡の中心地が厚狭に移転し、廃れていった。
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、近世以来の船木村が単独で自治体を形成。
1917年(大正6年)9月1日 – 船木村が町制施行して船木町となる。
1955年(昭和30年)4月1日 – 吉部村・万倉村と合併して楠町が発足。同日船木町廃止。

船木町wikipedia

第五石畳

人里は確実に近いのですが、道は少し回り込んで最後の第五石畳へと続きます。ここも良いのです。

第五石畳
第五石畳
この雰囲気も好き
ここの雰囲気も好き
船木側の説明看板
船木側の説明看板

説明看板は入口側よりもこちらの船木のもののほうが読みやすく、歴史についても頭にはいってくるなあと感じました。看板は3ヶ所あります。読み比べもなかなか楽しいです。

庚申塔もあります
庚申塔もあります

庚申塔というのは「庚申の日に寝ると体の中の虫が天に悪行を言いつけに行くので、その日は寝ずに皆で念仏を唱え続ける。そういう行為を何年も続けた村だぞという記念碑」です。「なので悪者が村に入ってくるとすぐに分かるぞ!」という意味の結界でもあります。
道祖神や庚申塔から、信心深く結束の強い地域であったことが分かりますね。

千林尼棚井山田石畳道終点 船木山田側
千林尼棚井山田石畳道終点 船木山田側

厚東から入ればここが終点になります。

今日のルート

千林尼棚井山田石畳道
千林尼棚井山田石畳道

第一石畳の入口からざっと1.5㎞、千林尼棚井山田石畳道の終点となる船木山田側の入口に到着しました。この道の周回路はないのでピストンで戻るしかありません。
ちなみにですが地図の右下に見える山は霜降山でして、温見古道からちょいと足をのばすのにいい感じというのがお分かりいただけるかと思います。

千林尼棚井山田石畳道はほぼ全域によく手入れされており歩きやすい道でした。僕は第四石畳から峠までの雰囲気がお気に入りです。
あまり知られていない宇部の古道。もうすぐ温かくなりますし、江戸時代の尼に思いをはせながら休日散歩なんて素敵だと思いますよ。

番外編

情緒的な本編はさておき、番外編はただの野次馬野郎ですw 車を停めた舗装路に「道路陥没」の看板がかかっていました。道がどうなってるのかピストンの戻りは陥没を見てやろうと舗装路を通ってみました。

堤体調査中
堤体調査中

舗装路へはお駒堤の堤体を渡って車道に出ます。ちょうどため池の堤体を調査してらっしゃる方がいらしたので「車道歩けます?」と聞くと「歩くのは大丈夫だよ」と教えてくださいました。

おお、こりゃすげえ陥没だ
おお、こりゃすげえ陥没だ

いや、陥没ってより地すべりじゃんこれ。アスファルト割れまくりんぐでやばい。不謹慎かもしれないけど、これもちょっとワクワクするぅ。

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